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1年で出逢い結婚離婚を経験したはなし

こんな事なかなか経験できないと思うので書いてみることにしました。2020年、ある男性と出会って、結婚して、離婚しました。改めて文字にしてみると自分でもびっくりしますねぇ。

結婚・離婚を経たからこそできた成長を自分のためにも書いておこうかなと。

経験してみて初めて腑に落ちる

一般的に離婚って失敗って捉えられることもあるのでは?と思うのです。自分が結婚離婚する前の私はそう思っていました(他の方の離婚を批判する意図はありません。)
自分が経験して初めて、結婚って、他人と生きていくって、本当に本当に大変なんだなぁということが腑に落ちました。結婚してみないとわからないことってたくさんあるんだなぁと。離婚した方それぞれに理由があると思うんですけれど、そこを見ずに「離婚」というひとくくりに捉えていたことにも気づきました。「みんなその時できる全力で生きた結果なんだから他人が評価したり言ったりする権利なんてないんだなぁ」という考えに変わりました。その時当人たちが離婚が最善と思ってした選択なんだろうから、良く決めたね、そこまでも大変だったよねってスタンスでいたいな、って思いました。

それから、私は「結婚」を特別視し過ぎていました。結婚って大事な契約なわけだから、簡単に解消!とはいかないわけで「上手く行かせようとするパワー」が働くであろう、だから喧嘩しつつもだんだん居心地が良くなっていくんだろう、と安易にも思っていたし、やっぱりどこかで結婚は幸せになるために必要なもののような気もしていた。でも、良くも悪くも本当にただの「紙きれ一枚」だった。これは当人同士がどう考えているかによるから、私と元夫との間では、だけれど。付き合いの延長上のものでしかなくて、結婚という契約が何かを変えてくれるわけではないってことを、私は本当の意味で理解していなかったのです。

物事の捉え方がゆがんでいること

結婚する前から悲観的に捉えすぎる癖があることに気付いていて、それを修正していくために、カウンセリングを受け始めたんです。なんとなくカウンセリングを受けることってメンタルの病気の人がやること、と思って抵抗があったんですけど、踏み切れたのは結婚があったからだと思います。
カウンセリングを受けてみて、事実を主観的に捉えていることに気付かせてもらいました。例えば、「私は○○さんから期待されていない」とか、多分思い込みのことが多いんだと思います。今私もここから抜け出せていないので、これはまた別のnoteで詳しく書こうかなと思うのですが、期待されていないって判断した(私が思った)理由って、事実ではなくて主観的であいまいなものなんですよね。この物事の捉え方が変わることで人生大きく変わっていきそうだなと思っています。

自分にヒドイ言葉をかけ続けて生きてきたこと

これが結婚で得た最大の気付きだと思うのですが、私自身がこれまでいかに自分にヒドイ言葉をかけてきたのかってことなんです。

人から言われて傷つく言葉って、実は自分が自分にかけている言葉だったりしませんか?

人から何か言われてい、「ヒドイ!」って自分が全く謂れもない言葉に対して思うか?って言うと、多分言われても「ふーん」とか、「あの人何言ってるんだろう。。。」って反応だと思うんです。
人から何か言われてい、「ヒドイ!」って思う言葉って、少なからず自分でもその言葉をかけていると思うんです。自分でもそう思うから受け入れてしまう。

元夫は、私が言われて傷つくことを外からわかりやすく言ってくれる存在だったんです。でも実は、一番その傷つく言葉をかけているのって私で。元夫とは離婚すれば離れることができるけれど、自分とは四六時中一緒に居て、離れることができないのですよね。「もう自分にヒドイ言葉をかけるのを止めて」というメッセージだったのかなと思っています。

他の人にならかけない言葉は、私が私にかけるのを止める。そして、代わりにかけるのは自分を力づけたり、気持ちに寄り添う言葉にしたいなと思います。

最後に

結婚する前に気付けよ、と思われる方が大半だと思うのですが、結婚前は「結婚すればお互いに歩み寄るから大丈夫」と信じていたのです。痛い目には合ったけど、その分、自分で幸せにできるのは自分、という決意は固くなりました。
そして、耐える期間が短かったからこそ、こうしてすぐにまた立ち上がれたのだとも思います♪
もちろんノーダメージというわけではなくて、ここまで回復したのは、聴き寄り添ってくれた仲間のおかげです。改めて、質問、傾聴、言葉にすることの力を体験しました。感謝でいっぱいです。愛してるよ~!

さて、またここから!


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