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【No.23】シンママって私のことか!

「シンママ」というのが自分のことを指していると、すぐには気づかなかった。
シンママ=シングルマザー。子供がいるのに離婚した私は当然当てはまるはずなのに、なぜかシングルマザーというと、少しだけ薄幸な響きがあって、いつもガハハと笑っている私とイコールで結びつかない気がした。

とにかく「シンママなのに、単身赴任なんて無茶よね」と母は言ったのだった。

私には中学2年、高校2年、大学2年の3人の子供がいる。1年半前に離婚するまでに実家の近くに転居をし、経済的自立を図るべく、さまざまなステップを踏みながら転職をしてきた。
子育ての間は、フリーライター。そこから学校法人の契約社員、チョコレート会社の広報担当、体を壊して退職をし、再び学校法人に戻り、メーカーの技術通訳として正社員で働いてきた。体を壊して退職してすぐは、コロナ禍ということもあって、すぐに復職せずにオンラインショップでクッキーを販売していたこともある。

営業部付きの技術通訳・翻訳者として1年勤めたものの、どうにも将来が見えない。古い体質の会社ということもあって、女性のほとんどが事務職、私は営業担当者の海外案件をサポートする立場であって、事務仕事をしなくてはいいものの、これからキャリアを積めるのかと言ったら、望みは皆無と思われた。
いろんな職場を経験していると、会社というものが一つの生き物のように見えてくる。明確な個性を持った生き物だから、自分に合うか合わないか、思いを伝えていい対象なのか、そうでないのかが肌感覚としてわかってくる。

一生、給料もほぼ上がらないし、自分の能力は活かせないだろうな。能力を上げる努力はできるけれど、性別は変えられない。そう思って転職活動を始めて間もなく、東京の会社から声がかかった。もう50を過ぎて、好条件で正社員は望めないと思っていただけに、そのチャンスに飛びついた。東京にいれば、そこが合わなくても選択肢は多いに違いないという邪な気持ちもあった。

問題は、子供たちである。長男は、たまたま関東の大学に進学していたために合流することにして、娘たちの意向を聞くと、在籍する学校を卒業したいという。
今までも母がほぼ毎日、夕食を作ってくれていたから、朝はトースト、お昼は残り物か学食で済ませてね、なんて子供たちとは話をしていたけれど、母から猛烈な反発を喰らった。

「あんたは気楽に考え過ぎなのよ。子供の気持ちを考えてみて」

この歳になって、親から何かを反対されるなんて思っていなかったから、面食らった。子供が寂しがる?じゃあ、着いてこれば良いじゃない。今まで一つの会社で管理職の経験をせずにきた私に、そうそう良い選択肢は転がってはいない。シングルである以上、子供たちの生活費と学費を稼がなくてはいけない。懇々と説いていると「心細いのよ」と母がつぶやいた。

「もうこの歳で子供と離れるのは寂しい。孫がいなくなるのも辛い」。4人兄弟の末っ子で、かつ、私は過去に何度も家を離れている。何を今さら、とは思うけれど、母も80になった。「あんたが東京行くと思ったら寝れなくて」という彼女の目は落ち窪み、腕や胸板も痩せ細って、皮膚が弛んでいる。

過労で倒れた時には駆けつけてくれた。仕事で遅くなる時には、いつだってご飯を作り、私の代わりに子供の習い事の送迎をしてくれた。離婚の時にも反対せずに支えてくれた母である。もちろん、胸が痛い。

が、私が男であっても同じことを言っただろうかと密かに天邪鬼な私は思う。思う存分働いてきなさいという兄に向かって言う母の姿が容易に想像できてしまうのは気のせいか。あるいはそれに近いシーンを見たことがあると言ったら、母はなんと言うだろうか。

「ごめん、3カ月経って、子供たちが寂しがったら、東京に転校させる。それまでは週末帰るから」

母に対する申し訳なさと、子供達に対するやるせない思いと同時に、すっきりと前を向けないことの鬱陶しさ、苛立ちがごちゃ混ぜになった気持ちのまま、京都を離れた。

娘であること、母であること、女であること。同時に大黒柱であること。すべてがややこしくって、重い。同時にそのすべてが私にとって、私の知る世界そのものであって、それ以外のものは残念ながら持ち合わせていない。

あと少し、元気でいて。少し走ってみたら、私にも見える景色があると思うから。胸の内で、母に語りかける。



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