自分で満たす承認欲求
人が生きていく上で主に5つの欲求が満たされないと幸せを感じることが出来ないとされている。
マズローの自己実現理論。
まずは睡眠、食欲などの生理的欲求。
家、仕事、健康などの安全欲求。
人間関係、家族、友達、恋人などの社会的欲求。
名声、信頼、尊敬などの承認欲求。
そして、自分の能力や可能性を満たすための自己実現欲求。
全ての欲求が満たされた時に人は本当の幸せを感じることができる。
ところが、最近日本から来る若者たちと話していて、承認欲求で引っかかっている人が多いなということに気が付いた。
おそらく誰もが感じたことがあるであろう承認欲求。
もちろん私も子供の頃から、あの子よりいい点を取らないと褒めてもらえないなぁとか、弟の面倒をちゃんと見ないとお姉ちゃんとしてダメだなぁとか、誰よりも結果を出さないと上司に認めてもらえないなぁなど、頑張る根元が他の人に認めてもらうことだったからその気持ちは痛いほどよくわかる。
人に認めてもらうために頑張る。
親に認めてもらいたい。友達に認めてもらいたい。先生に認めてもらいたい。上司に認めてもらいたい。
そうすることで自分の存在の意味が深まり、もっと優位な立場になり、もっと生きやすくなるに違いない。
認めてもらうことで価値が上がる。
だって、自分の価値を決めるのは他人。
誰かが評価をしてくれるからそこに価値が発生する。
でもね、もし自分の価値を上げるために誰かのご機嫌を伺っているのなら、そこに本当の価値はあるのだろうか?
例えば、頑張って仕事をしているから上司が認めてくれて昇給してくれる、それはいいことだと思う。
でも、あの上司にいい顔して取り入っておけば評価が上がって昇給しやすくなるからあの上司に認めてもらいたい、というのは小さすぎやしないだろうか。
たった一人の人の評価のために自分を生きるって、そこに価値は見出せるのだろうか。
私は、自分の精一杯を生きることで自分の価値を上げていきたい。
そしてそこに価値を見出す人が現れる、それが自然の流れだと思う。
つまり、自分が自分で納得できる生き方をすることが重要なのだ。
自分が納得できる生き方をして自分で自分を認めてあげることが出来れば、それでいいじゃないか。
自分の精一杯を生きていたら絶対にそこに価値は生まれるから。
自分を認めてくれる人は絶対に出てくるし、同じ価値観の人は集まってくる。
それに対して嫌な顔をする人に認めてもらうために、気持ちをすり減らして生きていくなんてしなくていいと思うんだ。
自分は自分であることに自信を持って生きよう。
自分を大きくするために毎日頑張っていれば、そこに価値を見出す人は自然と集まってくるから。
承認欲求は自分が満たしてあげればいい。
そして自己実現欲求を満たすことに専念しよう。
だってその後にあるのは自己超越の世界だから。
人のために何かをするという欲求、そこにたどり着ければ世界はきっと救われるから。
だからもし、承認欲求でモヤモヤしているのであれば、自分で自分を認めてあげる、それだけで待たされるから大丈夫だよ。
もしどうしても誰かに認められたいのなら、私があなたを認める!
あなたのいいところいっぱい見つけるよ!
だから自信を持って、自分軸で生きていこう!
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