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そろそろ次のステップに行きたい・・・でも、よく考えたら・・・。

そろそろ次のステップに行きたい。

三男が2歳半になった。
長男と次男は二人とも、2歳半でお兄ちゃんになった。

だから、今の三男はすでにお兄ちゃんに「ならされて」いてもいい年齢だ。
3人目で、そして、未だに一番下(きっと、これからもずっと)だから、いつまでも一番小さくて、一番可愛らしくて、手をかけてしまう。

兄たちと喧嘩して負けて泣いていると、私は三男の肩を持つし、ご飯をいつまでも食べなくても、夫は気長に食べ終わるまで付き合っている。

のんびりマイペースな性格に手こずりつつも、可愛い可愛いと誰からも愛される笑顔満点の三男。

夜泣きもほとんどなくなった。
私は夜、自由な時間を手に入れやすくなった。(ただし、3人の喧嘩が激しいため、精神的に疲れ果てて、夜、寝かしつけた後、起きれないことは度々・・・)

そろそろ仕事にかける時間と気持ちを増やしていきたい。


でも・・・

別にブラックな働きかたをしたいわけではない。そもそも、長時間働けばいいというわけではない。

時間ではなくて効率。そして、パッションが大事。情熱が続かないようなら、一度休憩したほうがいいし、仕事じゃないことに時間を割いたほうがいい。

どういう生き方をしたいかというのと、どういう仕事をどのようにしていきたいか というのはほとんどイコールであるために(創業者はみんなそうかな)、その辺りをはき違えてはいけないと思っている。

そもそも、何のために、それを仕事にしようと思ったのか。それによって、自分はどう在りたいのか、そして、それを通じてどういう未来を実現したいのか。

ただただお金を稼ぐためだけの仕事だったら、都心にいて、それなりの給料が受け取れるサラリーマンをしていたほうがよっぽどいい。けれども、私はそれを選んだわけではなくて、自分の意思でここにきて、自分の思いで始めた仕事。


仕事と暮らしのバランスはとっていきたい。


季節ごとに周りに実る果実や野菜、山菜をふんだんに取り入れた食生活をこれまでのように実現していきたい。季節にあった身近なものを食べるというのは幸せそのもの。保存食を作って何かの時に備えることも忘れないように。

子供の成長を見ていたい。保育園や学校には頼っているけれど、週に1日は子供たちと一緒にいる時間を持ちたい。一緒に川に行く、山へ行く、畑仕事をする、田んぼに入る。今しかできないかけがえのないことと思う。

季節ごとの染めを続けたい。これは仕事の一部だけれど、ここで暮らす私の営みの一部でもある。今は私自身が染めることがなかなかできていないけれど、刹那的な季節を色にして閉じ込めていくことは、仕事としても暮らしの延長線上としても、続けていきたいこと。

ここで伝わってきた服の形を世界へ広めていきたい。これはもうライフワーク。仕事でもあり、私の生き方そのものでもある。この貴重な知恵を、このタイミングで受け取ることができた者として、私はいかにこれを実現するかに力を注ぎたい。これができないと、私、死ねない(笑)、なんて本気で思っている。


暮らしと仕事がほとんど一体で、私にとっては、それを継続して、続けていくことを仕事にする、という感覚。だから、無理しては続かないし、日常の中で自然体で、この環境の中で生かされている中でできること。

ああ、そう思うとこのままでいいんだと思う。

自分に無理はさせない、自分が無理をしたら、子供達も無理をするし、家族関係に歪みが出るし、何もいいことがない。

だから、このままの心持ちで、あとは、子供の成長に合わせた私の変化を、私が見守ってあげること。人との比較は何も生まない。

次のステップに行きたいと思ったんだけど、実はそうじゃなかった。


次のステップには、常に日々進んでいて、小さな歩みだろうがなんだろうが、そのことを自分自身が認めていくことが大切ということ。

そうすることで、実は常に、望む未来へ近づいているという認識ができる。

認識することが、明確な形につながるということを信じ、私はただそれを目指していく。

昨日より今日。今日より明日。
困難があることもある。どこにいても、誰といても、何をしていても、そういう時はある。
だったら、それは、明るい未来が訪れるための、小さな壁と思って立ち向かう。少し経てば笑って話せるネタと思えば心が軽い。

無駄なことは一つもない。あとは自分がどう捉えるかだけ。

明日もきっといい1日になるよね。そう信じて、毎日生きている。

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