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聞き書きで、「好き」になる。

生まれて来れば、いつかは亡くなる。

誰もが直面している運命で、皆平等に訪れる「死」。

死ぬことは、生きることとイコールと思える。

良く「生きること」は、良く「死ぬこと」とイコールと思える。


昨日、一人の方が亡くなった。89歳だった。もう10年も前に、聞き書きをさせてもらって、聞き書きの本に載せさせていただいたおじいさん。

彼は30年以上も前に妻を先に亡くしていた。石徹白へはお婿さんとして来た人だった。とても穏やかで優しい眼差しが印象的な人だ。

聞き書きをしていると、お話を伺うのは80代周辺の方なので、当然だけど、そのあと、何年かしたら亡くなることが多い。

もっとお話を聞いておけばよかった、と常に後悔をしてしまう私・・・。そしていつも、死を近くに感じる。あんなに元気なおじいさんも、いつかは亡くなるんだな、と。

それは寂しさはもちろんあるし、もっと話したかった後悔も大きいのだけれど、だけれど、私は、然るべきことと思えるし、悲しいよりも、出会うことができて、お話を聞かせていただけて、ありがとう、と感謝の気持ちが私の頭の大半を占める。

私が聞き書きをしているのは、この地域の歴史・文化に興味があるということもあったのだけれど、やり続けているとそれを学ぶだけじゃないことがわかってきた。

一人の人の人生の中で現れてくる様々な事象と、その時に抱く気持ちの部分を共有させてもらって、追体験することに豊かさを感じている。それに加えて、その人にもっと興味を持って、関心が高まっていく。つまり、その人のことを好きになる。好きな人が増えていくと、この場所がもっともっと好きになる。自分の住むこの土地への深い愛着になっていく。

好きばかりに囲まれたところで生活できるというのは、どれだけ嬉しいことか。

大好きな家族、大好きな仕事、大好きな仕事の仲間、そして、大好きなこの土地の人と、この地域全体。

私はありがたいことに、聞き書きを通して、ここの「大好き」がどんどん増殖しているから、日々、本当に愉しく気持ちよく暮らしている。

そのおじいさんが作ったあそこの石垣さえも、好きになってくる。私って単純なのかな・・・。

人として、合う合わないは当然あると思うのだけれど、コミュニケーションがうまく取れていないだけかもしれなくて、それを深めていけば、分かり合えるところも増えてくる。(逆に、分かり合えないことも出てくるのかもしれないけど、それを認識すること自体も大事・・・)

相手に興味を持って話を聞くと、いろんな話をしてくださるし、私もそれをぐんぐん吸収していきたいと、前のめりになってくる(精一杯話を聞くから、聞き書きはせいぜい2時間が限界で、それを超えるとお互い疲れてくる。)

ここ最近は、コロナのことがあって、大好きなおばあさんに会いに行くのも気が引けてしまう状況だけれど、もう少し落ち着いたら(いつ落ち着くんだろうか、、、)また話を聞きに伺いたいといつも思っている。


私が大好きな方たちの聞き書きの朗読をyoutubeでアップしていくことにした。

サイトはこちらからご覧ください。

最初の聞き書き集を発行してからもう6年ほど。それを改めて、朗読する中で、私の中に入れて、再度解釈をし、アウトプットをしていくということをしていきたい。

これまで、先人らの存在に頼り切ってきた私はそろそろ自分の足で立っていきたいとも思う。いただいたたくさんのものを糧にして、私なりの方法で、表現していく、それを糧に生きていくためのものづくり(なのか、何なのかはまだ未知・・・)をしていきたいと思っている。

この土地で生きてきた人は誰もが、常に体と心を精一杯働かせてきた。石徹白という山奥の土地では、「地域づくり」は今に始まったことではなくて、ずっとずっと、昔からそれを続けてきて、続けてきた先人らがいるから今がある。

そうではないと生きていけない地域なんだ。90代の翁の話からひしひしと伝わってきた。(そのお話も、いつか朗読で紹介したい)

この土地で、良く「生き」、そして良く「死んで」いった人たちに私は良く「学び」良く「働き」、良く「生き」ていきたい。

朗読をしながら、改めてそんなことを思う。


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