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noteはじめました ~書くことは、考えること~


すごいゆるりとnoteを始めました。

ずーっとSNSデトックスをしていたので、「誕生日と年末年始しかタイムラインに出てこないヤツ」な感じだったと思います(笑)

なんでこのたびnoteを始めたかというと、たぶん、「そういう時期が来た」からなんだと思います。

書くことは、「考えること」でもあるわけですが、目の前のタスクに精一杯で考える余裕すらないときにはやっぱり書くこともままならない。

起業をして10年弱、ずーっと(自分なりに)走り続けてきました。

今、「余裕ができた」わけではないけれど、「あ、書いてみようかな」と思った、そんな感じです。

わたしは、「考えること」は、自分の意思とか考え…つまり、自分の内面で起こること、だけでなくて、「外的な要因」もひっくるめて「考えること」だと思っています。

「よーし、考え事をするぞ!」って大草原の中で大の字になり自然に身を任せていると、デスクで「うーん。。。」ってなってるよりも全然良いアイディア思い浮かんだりすることもあるじゃないですか。

ランニングで走るときに、「自分の足や身体を前に進めるぞ!」ということだけではなくて、路面の抵抗とか、気温や湿度だとか、ウェアの通気性だとか、そういった諸条件もふくめてランニングだと思います。

「んなん、当たり前じゃん」って感じかもしれませんが、「書くこと」は、何かすごい特別なことととらえている人が、意外と多いような気がする。(否定とかでは全くないです)

「正しい日本語」「正しい文章」=「間違っていたらダメである(いけないこと)」という概念が、その自由度を低くしてしまっているのかなとも思います。

国語が得意な人しか文章書いちゃいけない空気感、みたいな(そんなことは全くないと思う)。

※もちろん、読み手ありきではあるので、論理的思考や文章構成のテクニック、語彙や発想力はある程度は必要なのでしょうが・・・

わたしにとって、

「書くこと」は「考えること」として、単に、アタマの中の情報を整理して書き出しました~~~じゃなくって、

「自然に任せて(良い意味で)巻き込まれてみよう~~~」そんな感じ。

ちょっとおセンチ(死語?)なときとガンガンいこうぜ的なときではなんかテイストが違ったり。

「難解な」っていうところをあえて「むずかしい」としたり、カタカナで「ムズカシイ」としてほうがリズムがよかったり、

そんな、「正しいとか間違ってる」とかじゃなくて「あ、今日、いま、こうしよう~」みたいな、言葉あそびが気持ちよかったりもする。

だから、わたしは、自分の内面を超えて、自分のカラダの外でいろいろ起こっているあれやこれやに身を任せながら、ひっくるめて「考えて」「書いて」みようと思います。


★contents(随時更新)

1.【仕事・人生】考えていること・大事にしていること

2.【仕事】社労士事務所の経営

3.【仕事】社長のメンター×労務

4.【仕事】あしたのミカタ  プロジェクト

5.【私生活】外食王にわたしはなる

6.【私生活】妊娠・流産・不育のこと


こんな感じでカテゴリ分けして、「わたし」について、記録に残したいことを、noteに溜めていこうと思ってます。

ペースはゆるりゆるりになりますが、長く続けていこうと思っています。

よろしくおねがいします。

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