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「『それ』を身につけることで何を得たかったのか」って話

2024年1月29日のツイートまとめ。発端は「どこかのホストクラブでは『稼げるホスト』にとって必要な話術を磨くため、新人ホストに小学生のやるような国語の問題集を解くことを課している」という何度かバズっている話題。プラス、この話題の少し前にバズった『正しいワンピース』というタイトルの「なろう小説」及びそれを原作としたマンガの話題。以下、当時のツイート。

【ふた昔前なら「銀座の高級クラブのママが自著で書いていたような話」】
ホストの教育担当者が新人ホストに「客からお金を引っ張れるホスト」になるために国語の問題集を解いたり日経新聞を読んで内容を報告したりする訓練を課している、という話を見かけると「ふた昔前くらいは『銀座の一流店のママ』が語っていたような話だ」と思う。上客の話についていくために本を読む話。

昔からある話なんだよね、江戸時代の「吉原の最高の店の太夫は上客の相手をするため書に和歌に琴に舞踊、茶の湯まであらゆる芸事を身につけていた」や平安時代の「村上天皇の女御であった藤原芳子はいずれ入内させるべく父の藤原師尹から書と琴と古今和歌集二十巻すべての暗記を課されていた」とか。

多数の客あるいはひと握りの上客から金を引っ張る仕事にせよ、たったひとりだが手をつける女の数には不自由してない特上客の寵愛を得て世継ぎを産み、出身一族の栄達に繋げる仕事にせよ、「自分の魅力を売り相手の歓心を買って栄えよう」という広義の「人気商売」には話の抽斗/教養が必要っていう話。

ちょうど今年の大河ドラマ『光る君へ』でも「左大臣家の姫君への和歌教育に来ている赤染衛門が古今和歌集の歌をすべてそらんじている」というエピソードがあったけれど。あれも「いずれ入内してもおかしくない身分の姫様たちへの『ホストに国語の問題集を解かせる』の貴族版教養講座」の話よね。

「国語の問題集を解き、日経新聞の要約をする新人ホストたち」の話を見かけると「吉原には吉原の、銀座には銀座の、歌舞伎町には歌舞伎町の藤原師尹と宣耀殿の女御がいるんだなあ」って当番は思う。じわじわ笑える。そのうち古今和歌集二十巻の和歌をすべて諳んじているトップホストが生まれるかもよ。

当番は「刀剣男士和歌ホストクラブ(刀剣男士が『公達』、客が『姫君』で和歌のやりとりのみで接客をするホストクラブ)」という幻覚を患っているのだけれど、たぶん刀剣男士和歌ホストクラブの公達(男士)たちは歌仙さんと古今伝授の太刀によって古今和歌集二十巻を暗記させられているはず。

【何らかの「利益」と引き換えにするための「教養」】
朝の話の続き。「国語の問題集を解き日経新聞を要約するホスト」「幅広く読書をする銀座の一流店の『ママ』」「茶の湯や和歌も習っていた吉原の太夫」「古今和歌集二十巻をすべて暗記している平安時代の女御」みんな受け答えの技術を磨いてそれぞれの「客」の心を掴み、そして何らかの利益を得る。

「時代と立場が違っても『接遇の技術を高め、その技術込みの自分の魅力と何らかのお得を交換する』のがお仕事のひとは同じような努力/自己投資をする」平安時代と令和の時代、1200年隔たっても続いてる。そこが面白いんだよなあとニコニコした後で思い出すのは昨日読んだ『正しいワンピース』のこと。

「婚活パーティーで誰からも見向きもされず『そうかぁ、この服、間違ってるんだ』とつぶやき、『正しいワンピース』で着飾ってバイト先の10歳近く歳下のイケメン大学生からの好意を得ることを夢見た28歳の主人公」だって思えば「そうやって自己投資して魅力を高めて、『愛と交換』したかった」のよね。

残念なことに『正しいワンピース』の主人公は「『愛』と交換するために、自分の魅力を増強できそうな何かを身につける」の解像度が壊滅的に低く、明後日の方向に突っ走った挙句失敗して絶望する。だけど下手クソすぎなだけで、彼女も平安の姫様、江戸時代の遊女、昭和平成の銀座のママ、令和のホストと同じなのよ。

昨日、エグさと生々しさにお腹いっぱいになりながら『正しいワンピース』の最新版漫画と旧版漫画、原作小説版を読み比べたのよ当番は。「服装が『間違い』だと相手にしてもらえない」という経験から「服装さえ『正しい』ものならば」と思い込んだ主人公にとって、服装は「参加資格」であり「交換物」。

「それを身につけていれば『別の何か』と交換できる(かもしれない)場所への『参加チケット』になるから」、その「別の何か」のために「『正しい』服装」だったり「国語の問題集や日経新聞を正しく読み解ける知性」だったり「古今和歌集の暗記」だったりを得ようとするわけなのよね。

別に「きれいなワンピースそのもの」や「文章を読むことそのもの」「古今和歌集そのもの」が好きでやってるわけじゃあない。「それを身につけていれば『勝ち取れるもの』があるから」「それを身につけていなかったら『負ける』から」、服やら教養やらで「自分を『磨く』」ことを志す。

『マイ・フェア・レディ』もそうじゃん? 卑しい言葉遣いを教育によって正し、作法を叩き込み、「『正しい』ドレス」で着飾らせて舞踏会に出したら「あれはどこの王女様?」と噂された。仕込んだ教授は鼻高々、でも上品に仕上がった元花売り娘は「私はただ貴方から『気にかけて』ほしかった」と泣いた。

『正しいワンピース』の主人公は「お姫様になることに失敗した」から泣いたけれど、『マイ・フェア・レディ』の主人公は「お姫様に見せかけることには成功したけれど、それでも教授にとって自分はお姫様などではなく実験動物のようなものだったのだと悟った」から泣いた。

「『正しい』ドレス、『正しい』言葉遣い、『正しい』教養を身につければ『勝率』は上がるかもしれない。でも、夢みた何かと常に『交換できる』とは限らない」。古今和歌集を諳んじるお姫様でさえも運が悪ければ夜離れに袖を濡らすことになる。

国語の問題集を解き日経新聞を要約する新人ホストも、幅広く読書する銀座のママも、茶の湯を仕込まれる吉原の太夫も、古今和歌集全巻を諳んじるおひい様も、そして「正しいワンピース」が欲しい女性も、「それそのもの」を得るためではなく「それを身につけた自分を売ってなにか別のものを買うために」やっている。

「それを身につけた自分であれば、それをチケットにして自分が欲しがっている別の何かを手に入れることができる。少なくとも、手に入れる機会を得ることができるはず」そう信じて生きてきて、でも努力の方向がおかしい上に下手クソで、『正しいワンピース』の主人公は「交換できない」と知る。

だけど、あの主人公ほど短絡的でなく、あれほど視野が狭くもなく、少しは的を射た「正しい」努力ができて、たまたま好条件が重なって、それであの主人公ほどの痛々しい結果にならずに済んでいる人の中にも「これを身につければ自分の欲しい『よいもの』と交換することができる」と信じている人はいる。

「成績がよければ『いい学校の学生』という身分と交換できる」とか「『いい学校』で優秀な学生をやっていれば『いい就職先』や『高収入』と交換できる」「『真面目に働く優秀な社員』をやっていれば『よい配偶者』だって楽勝で交換できるに違いない」ありふれてるじゃん、そういう発想ってさ。

「これを身につけた自分であれば、『欲しいアレ』と交換することができるのではないか」という期待を持って、好きなわけではないけれど「チケット」や「通貨」になりうる何かを必死で手に入れて、そしていざ「それを持っていても交換できない」と知って「今までやってきたことは何だったの」と絶望する。

ありふれた空回りだし、ありふれた絶望だよ『正しいワンピース』の主人公が味わうやつって。カリカチュアライズされて描かれているだけで。だからまあおろかでつらくて悲しい話。

「『正しい』ワンピース」だとか「国語の問題集が解けて日経新聞が読めること」だとか「古今和歌集二十巻を諳んじていること」だとかは「手段」なんだよね、「別の目的」のための。「目的」ではなく「手段」だから、目的が達成できなかったときに「成功しないんだったら何のためにこんなもの身につけたんだろう」になる。

まあ「『別の目的』のためにそれを『手段』とすること」自体が悪いわけではないのだけれども。ただ、それが「単なる手段」でしかなくて、ただ「目的物とうまく交換できるとき」にしか価値がなくて、失敗したらもう素敵なワンピースも教養も一瞬で「無価値」に落ちてしまうのは悲しい話だねと思う。

「ただの手段」であるだけの場合は「大勝利ワンピースを着てたって失恋はしたけれど、それはそれとしてこのワンピースは好き」だとか「受験に必要だから暗記しただけの和歌だけど、この一首だけは気に入っていて、知ることが出来てよかった」とか、そういう余地は生まれないんだ。

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『マイ・フェア・レディ』の話はこの記事でもしている


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