「生きる」とは「更新する」こと、「死」とはそれが止まること
きのう、記事にリンクを貼るために自分の過去の記事をキーワード検索で探していました。1年足らずで695本も記事を作っていると記事タイトルもうろ覚えになって、結局思いつくキーワードで手当り次第検索する羽目になっちゃう。
アストロダイスワークブックを書きあげた頃の記事を探して「まついなつき」で検索したら、しんみりしてしまいました。まついなつき先生ご本人のnoteが表示されたので。
いちばん新しい記事は6年前。いちばん古い記事は10年前。「(※当番が)フォロー中」「(※まつい先生から)フォローされています」の表示を見て一気に思い出しました。そうだったそうだった、10年前の2014年にまつい先生がnoteを始めてるとTwitterで知ったんだった。あの頃、Twitterのタイムラインで見かける占いの先生たちが次々とnoteを始めていて、それで当番はその更新を追いかけるためにnoteのアカウントを取ったんだった。ちょうどその頃当番はサビアンシンボルの原書を2冊分ぜんぶ対訳するプロジェクトをやっていて(プロジェクト自体は頓挫したけれど対訳は完走)、いずれサビアンシンボルの度数別解説をnoteにまとめよう、noteの名前を「サビアンシンボルの森」にしよう、なんて企んでいたのでした。完全に思い出した。
そして2014年note解説から実に9年近くも更新せずにここを放ったらかしたわけですが。2023年の7月24日のXショック(Twitter御乱心のあまりXを自称しはじめる)でようやく重たい腰をあげてnoteの更新に励みだしたわけですが。
記事の本数は少ないけれど、面白いんですよまつい先生のnote。サビアンシンボルの記事もある。
『鬼滅の刃』の記事なんかもある
記事公開当時にぜんぶ一度は読んだ記憶があるけれど、懐かしくて面白くて、きのうまたぜんぶ読み返しちゃった、ぜんぶ。そして記事一覧に表示される更新日時「6年前」「10年前」を見てしんみりとする。最新記事の更新は2018年(まついなつき先生は2020年1月にご逝去)。
今でもつい昨日のことのように思うけれど、それでも2014年や2018年はどんどん過去になっていくなあと思ってね。今年は2024年7月ですよ。まついなつき先生がお亡くなりになってもう3年6ヶ月が過ぎてしまった。
当番、2014年にnoteアカウントを取ったのに、まつい先生に片道フォローではなく相互フォローしてもらっていたのに、noteに記事も書かないで9年間何してたんだって思っちゃいましたよ。ぜんぶ訳しきってから、全貌わかってから書こうなんて思わずに、対訳作業中の2014年からバリバリnoteに書いていけばよかったのに、やらなかったんですよ。ただのROM専noterだったんですよ。何やってたんだろう当番は(主にTwitterです。TwitterだけやっていたわけではないけれどまあだいたいはTwitterです)。結局全シンボル解説は2018年開始で、2019年3月に完走してからログをnoteへ移設するまでまた4年も間をあけてしまった。
「思い出すとは忘れるゆえよ 思い出さぬよ忘れぬは」って都々逸があるんですけどね。「まついなつき先生がnoteをやっていて、当番はそれをフォローしていた」と「思い出した」当番はですね、つまりは忘れていたんです。まつい先生のnoteがあったことも、フォローしていたことも、検索するまで。フォローしたのになぜ忘れていたかといえば、たぶん、「noteのホーム画面に表示される『フォロイーの最新記事』に出てこなかったから」。出てくるわけがないんですよ、新しい記事はもう公開されないのだから。最新の記事が6年前なのだから。「今でもまだあの頃みたいに覚えている、つい昨日のような気がするし、なんならまだ生きて元気でいるような気がする」といくら思っていても、容赦なく4年6年10年と時間は経過するし、noteの最新記事に表示される「公開時期」は「6年前」になっていくんですよ。
あと1週間もすれば、当番が公開した最初の記事にも「公開時期:1年前」と表示されるようになる。うかうかしていれば、それはあっという間に「6年前」や「10年前」になる。「10年前」になる頃には当番はこの世にいない可能性だってある。そう思ったらしんみりしてしまいましてね。
「生きる」ってことは日々刻刻と何らかの「更新がある」「更新していく」ってことで、「死ぬ」とは「その更新が止まり、もはや再開はされない」ということ。たとえ生きた痕跡、ログは5年10年残るとしても、もう新作は出ない。新着記事にも表示されない。そうして、見ていた側がいつまでも忘れないつもりでいても、いつかは「思い出し」て「思い出すということは、忘れていたんだ」と思う日がやってくる。
誰かの「更新」が止まり、入れ替わりに新しい誰かが「更新」を始めて、そうやってこの世この界隈へ集う「いつもの顔ぶれ」そのものが「更新」されていく。世のならい、生者必滅のことわりと言ってしまえばそれまでだけど、寂しいなあと思ってね。
さて当番の生存報告も兼ねて、今日も元気に更新ですよ。フォロワーの皆様ごきげんよう、今日も新着記事欄へお邪魔いたします。明日も明後日も10年後も皆様の新着記事欄をお騒がせしたい当番でございます。「何か話題になっていると思ったら当番、またお前か」って10年後にも言われたい。noteで2度目の土星回帰報告記事を書き、その2年後には本卦がえり(※還暦ね)報告記事を書きたい。当番の健康とnoteの長寿と、ついでにネタが尽きないことを祈っていてください。また明日最新記事にてお目にかかりましょう!
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