「吾峠呼世晴が週刊少年ジャンプにやってきた!」
早く続きが読みたくて本屋やコンビニから家まで走って帰るという連載が、週刊少年ジャンプで現在連載されている。
29歳の女性作家・吾峠呼世晴による「鬼滅の刃」だ。
本作が初連載作である。
連載1回目、鬼に家族を惨殺され、命はとりとめたものの鬼の血を浴びて鬼になりかけた妹を、駆け付けた兄(主人公)が、「頑張れ!鬼になんかなるな!」と鬼の血の魔力に自我を失いかけて暴れる妹を押さえつけ、励ます。兄の呼びかけで妹の瞳から涙が溢れ出る。このシーンでいきなりわけもわからず落涙した。
なんだ?まだ何も始まっていないのに、いきなりなにかをわしつかみにされたぞ!
まだ何も始まっていないのに!何も始まっていないのに!
動揺した。
当時、自分が鬼(自分がなりたくもないものに自分自身の弱さでひきずられてなるようなもの)になりかけていたからか。逃げ出したい、考えたくない、自堕落に今そこにあるものだけで自分の欲望を賄うという誘惑が頭にちらついていたからか。
「頑張れ!鬼になんかなるな!」
2回目を読んでも3回目を読んでも、そこで涙が出てくる。
「鬼滅の刃」1巻の表紙カバー絵は、主人公の兄が「きっとにいちゃんが助けてやるから、人間に戻してやるから」と鬼になってしまった妹を抱えかばう姿だ。この表紙カバーを外すともう1枚、鉛筆書きの違う絵柄が出てきて、そこでも改めて落涙する。
孤独では鬼になる。だからこうして強い力で、自分のことを信用してもらえる、ほかの誰かが必要なのかもしれない。いい年してジャンプを読んでグスグス泣いていると、同居している大学生の子どもがお菓子を差し入れてくれた。鬼にはなるまい。
「妹を人間に戻すために、鬼滅隊という政府非公認の鬼狩りの組織に入るため修行をする」という、展開だけ話すと地味な序盤(単行本1~2巻相当)だが、そこに出てくる鬼や他のキャラクターたちの魅力にすっかりやられて、毎週月曜日の発売を心待ちにした。マンガ週刊誌特有のざらざらした紙に印刷された掲載ページを隅々まで何度も読む。独特なセリフまわしは、記憶しようとも思わないのに覚えてしまい、どこかで使いたくて仕方ない。
予告ページの小さなカットも全部切り抜いてファイリングしたかった。グッズの情報が出ようものなら、どうすれば自分がその限定100名様の中に入れるのか頭を掻き毟る。
はっ!これは自分が小中学生のときに、萩尾望都先生に対して持った気持ちと同じではないか!小中学生のときの萩尾先生作品へのお熱!「予告の小さなイラストまで切り抜いてとっておきたい」「セリフを覚えて身近な人とやりとりしたい」ほどの激しい「好き」を感じた作家に、私はその後、出会っていない。
たくさんのマンガを読んできて大好きな作品・作家は数あれど作品を何度も読むことで充分に満足してしまう。
この作家の描く一本一本の線が、セリフのひとつひとつが、自分にとって宝物のように思う人生二人目の作家が吾峠呼世晴という作家なのだ。
単行本が発売されて一気に読むと、読みごこちは「どこが?」と言われてもさっぱり説明できないが、ちばてつや先生の作品を思い起こした。学校から帰って・あるいは夏休みや冬休みに、居間の長椅子に寝そべり延々とマンガを読みふけった幸福な時間。キャラクターひとりひとりがまるでそこに生きているように魅力的で、セリフの軽妙なやりとりに次の展開を思い、ドキドキする。主人公はもちろん、脇役の全てに必然性と意図があり「これは本当の世界、みんなが生きている世界」なんだと。素足の先に夏の日差しや冬のストーブの放射熱を感じながら、夕飯の時間までマンガの世界にひたった時間。おおげさにいえば、いろいろあったけれど、こんな時間がまた得られるようになり、自分はほんとうに生きてきて良かったなあと思う作品が「鬼滅の刃」なのだ。子どものときと違い、夕飯は自分で作らなきゃならないんだけど。
子どもの頃からのマンガ体験のコアな部分の感覚が刺激される作品、それが私にとっての「鬼滅の刃」。
このような私の個人的な熱狂をよそに、2巻までは打ち切り候補でほそぼそと連載されていた。しかし3巻から登場のうざくて弱虫な善逸と、敵鬼の響凱という秀逸なキャラクターによって連載長期継続への転換期を迎える。
ネット等の感想を拾い読んでも、3巻登場のキャラで「鬼滅にはまった」と言及する人が多く、ここが人気の分岐になったのはまちがいないようだ。
続く4巻と5巻は那田蜘蛛山編で人気は決定づけられた。蜘蛛鬼の一家との戦い。生理的に嫌なシーンがたくさん登場してインパクトあるけれど、こけおどしだけではない熱いバトルがくりひろげられる。ギャグとホラーは同じ引き出しというのは、マンガ好きにとっては説明するまでもないけれど、怖ければ怖いほどギャグシーンもさえわたる。控えめに行っても、4巻5巻の那田蜘蛛山編は、少年マンガ史上に残る傑作だ。コンビニや本屋からジャンプの最新号見たさに走って帰ったというのは、この4巻5巻収録の掲載時期のこと。車とかに跳ねられないで良かった。意識不明でなければ救急車内でジャンプ読む勢い、それほど面白い。
現在の最新刊である6巻は、鬼滅隊の幹部である柱のみなさんが総登場。ここからは、文句ない王道ジャンプマンガとして、新展開に突入していく。
「鬼滅の刃」は、主人公側の鬼滅隊が善、敵の鬼が悪の、とてもわかりやすい勧善懲悪の物語。書き忘れたが舞台は日本の大正時代、近代ではあるけれど歴史が15年間足らずの大正時代は短か過ぎて、明治の終わり頃と戦前の昭和の間という親しみがあるのだかないのだかわからず、ぼんやりしている。主人公の生家の商売である炭焼きとSLを走らせる石炭と街頭には電気かガス灯りが灯る。食べ物は握り飯やうどんや天ぷらで、着ているものは和洋折衷だが着物の方が多い。ファンタジーとして鬼が跋扈し、鬼狩りが日本刀をふるっていても、妙に違和感がない。身近で親しみやすいもの、懐かしく郷愁をそそるもの、異世界で違和感のあるものが混然一体となっていて、バトルファンタジーの舞台設定として妙な説得力を醸し出している。(余談だけど、Amazonの書評でこの作品を「時代劇と思ったら現代も出てきて、時代考証がでたらめだ!」という理由で罵倒しているものがあり、この人は明治大正時代を知らないのかな?と一瞬不安になったよ)
そして現在(2017年5月発売)の最新刊である6巻は、バトルマンガには欠かせない修行回。少年マンガにおける修行回は地味なので人気が出ないそうだけど(1巻は地味に修行していた)6巻の修行回は一味違います。
なんと可愛い女の子キャラクターたち総勢6人に囲まれて、キャッキャッうふふしながら強くなる。修行のお相手やお手伝いはみんなとびきりかわいい女の子たち。なんだー!ぎゃー幸せ!なんなんでしょう、このハーレム設定、天才か。修行回なのに人気落ちない、むしろアップだ。
わたしはこの修行の舞台になるお屋敷の女の子たち6人全員が好きで好きで好きで、あまりに大好きで6巻は3冊買った。待てよ、6人いるのだからひとり1冊として、あと3冊買うべきか。うん、買うわ。
本誌連載分は、ハーレム修行を終えた一行が、さらに熱い戦いを繰り広げていて、何週間かぶりに深夜0時のコンビニに出現して、まだ荷解きされてないジャンプ山(昔に比べて小さくなったけどそれでも20冊くらいは入荷している)を「これをー」と差して無理やり購入して走って帰ったりしている。
今週(6/5発売分)はヤバかった。ウガバォ!やば過ぎて、あわててこのテキストを一気書き。なにかおもしろいマンガないかなーと思っている人がいらしたら、と思ったのだ。
今、おもしろいよ「鬼滅の刃」。
絵柄は30年くらい前の「少女コミック」にこんな感じの人がいたような気がする~と思って、かたっぱしから画像検索かけてみたけれど、全部違いました。自分の脳内記憶ミックスだった。ちょっと懐かしい感じで24年組全盛のちょっと後くらいの感じの時代。
<蛇足>
勧善懲悪でブレのない「王道の物語」ではあるけれど、「鬼滅の刃」には、人と鬼が仲良く暮らせる世の中になればいいのに、というテーマが何度も繰り返される。作者が単行本の巻末ページや増刊号などで時々「中高一貫キメツ学園」という、4コマやイラストをおまけで描き続けていて、そこでは本編では命を落としてしまっているキャラや死闘を繰り広げた鬼たちも、みんな登場して仲良く学園生活を送っている。