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「エールは消えない いのちをめぐる5つの物語」志村季世恵さんの新刊をゆっくりじっくり読んで、「このままでいいんだ」というエールを受け取った

ダイアログ・イン・ザ・ダークダイアログ・イン・サイレンスを運営する、一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ代表理事であり、バースセラピストの志村季世恵さん。3月1日に発売された新刊「エールは消えない いのちをめぐる5つの物語」を、今朝読み終わった。

季世恵さんご自身のお母さんの話を含む、5つの「お母さん」をめぐる物語。
母と娘のいのちが別れるということが、どういうことなのかを。
死について考えることは、生について考えることだということを。
いのちの炎は消えても、その人の思いは、誰かへの応援は、ずっと消えないということを。
ひとことひとこと、丁寧に編み込まれたエッセイだった。

甘くはない現実、いやむしろ過酷な状況のなかで、5人のどのお母さんも必死だった。ひとりひとり特別な存在だけれども、達観した人たちというよりは、1日1日をひたすら一生懸命に自分に誠実に生きた人たちだった。

私は、どうなんだろうかと、ひとりの母として、ひとりの娘としての自分を何度も振り返った。
読み進むうちにわかったんだ、とても自己中心的で自分勝手な私だということを。
だけど、それでいい。ずっと一生懸命で、ずっと今自分にできることを考えて、母の娘であり、息子の母で生きてきた。それしかないから。
自分勝手に、母はこういう思いで私を育てただろうと決めつけて、自己中心的に息子には立派に育ってほしいと思ってきた。立派にというのは何を指標にしているのかはわからないけれど。
たくさん間違っていたと思う。でも、正解なんてどこにもない。
ただ、今はそんな自分もゆるそうと思えた。

かつて、私が心身ともに弱っていた時に、季世恵さんのセラピーを受けたことがある。そのときに、「ダメなお母さんになりなさい」と言われたことを、今でも忘れない。
「いいお母さん」という幻想のような完璧な像を求めて、呼吸もまともにできないくらいに苦しかったときだった。
ダメなお母さんになるのはとてもむずかしくて、すぐにはできなかった。だってそれは、自分が信じていたものを手放すことだったから。でも、そのことばのおかげで、自分でかけたたくさんの呪縛から、解き放たれることができたのだった。
「いいお母さん」は、同時に「いい一人娘」でもあった。なんとひとりよがりなことか。


5つの物語に登場するお母さんたちは、みんな完璧ではなくて、だけど、みんなとにかく子どものことを、周りの人のことを思い、エールを送り続ける母たちだった。個性も生き方もまったく違って、だけど全員、死後もたくさんの人への影響を残している。思いを伝え続けている。

実は、この本を、なかなか読み始めることができなかった。絶対に泣くと思いその覚悟ができなかったのと、羨望があったから。丁寧につくられた本が、とてもうらやましくて、あやうくまた「おまえにはこんないい本は作れないだろう」お化けが襲ってくるところだった。季世恵さんのセラピーを受けていたあのころ、本屋に行くと出るお化けだった。過呼吸になるほどこわかったんだ、本の表紙が。編集者なのに、リサーチでさえ本屋に行けなかった。これはのちにちゃんと克服したのだけれど。
でも。
もうそれは大丈夫だった。

読み進むうちに、この本はまるで、たくさんの色とりどりの太さも質感も違う様々な糸で、複雑に編み込みがなされたカーディガンのように、読む私を包み込んでくれた。それは、冬は限りなくあたたかく、夏は涼しい風を通し、いつも肌を軽く守ってくれる。
自分勝手でも、自己中心的でもいいんだから、安心して死ぬまで生き続けなさい、大丈夫だからと、守ってくれるカーディガンのような本だった。

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