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minoritibilityとmajoritibility

ちょっと変な言葉を思いついたのです。
minoritibilityとmajoritibility。
マイノリティ・少数派になりうる能力・特性
マジョリティ・多数派になりうる能力・特性
自分の中の、ここを全面に押し出したら「ヘン!」とか、うっとおしく思われるとか、偏見を産むかも、と思われる部分がある、誰にでも。
でも、その部分を持っている人たちがたくさん集まると、それはヘンな部分じゃなくて当たり前になる。
私のアジア人の姿は東京にいると多数派ですが、パリにいると少数派です。
目の見えない人は、色と光の信号がメインの世界では少数派ですが、
真っ暗闇では、目以外の感覚を自在に使える強い人になります。
何をどうとらえるか。
自分が思っている特性を、どこででも安心して出したり(場合によっては自分が心地いい程度に抑えたりする)ことで、やっと、今流行り?の「ダイバシティ・多様性」が生まれるでしょう。
いろいろな人が混ざり合っているという意味でのダイバシティについて言及されることが多いけど、
自分の中にある多様性に、どれだけ気づくことができるか、が問われているような気がします。
この話を「ちゃんぽん語」(いろいろな言語をまぜこぜで話すこと)の達人にしてみたら、
「自分の中の多様性はintradiversityだね」と言われました(笑)。
それって、私ってだあれ? とか、
つきつめると、生まれてきた理由 とかにつながるのかもしれない。
・・・書かなくちゃいけない原稿がある時ほど、こんなことを考え始める。

もうちょっと整理してから書けばいいのにね。(笑)

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