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かっこいいおじいちゃんと、怒っているおじいちゃん

映画を観た、オンラインで。

「マイインターン」。2015年のニューヨーク。アン・ハサウェイとロバート・デ・ニーロ。
おしゃれじゃないわけがない。
そして、いい映画だった。

リバースメンターのストーリーなのかな?と思ったのだけど、そうではなかった。
長い人生をじっくり誠実に歩んできたからこその厚みがあって、若い人から慕われる、そんなおじいちゃんがロバート・デ・ニーロ演じるベンであり、若く成功した女性実業家、ジュールス=アン・ハサウェイを、シニア・インターンとして公私ともに支える、という役どころ。…いや、こんなおじいちゃん、いないよなぁなかなか。という男っぷりなのだけど、でも、いるよね。いる。いると信じたい。

古き良き時代をバックグラウンドに持ちつつ、「あの頃はよかった」と振り返るのではなく、しっかり新しい時代を見て、考え方やライフスキルを、どっこいしょとアップデートする。でも、自分のアイデンティティは、古き良き時代のメソッドに支えられている。
老いたときにかくありたい、と思う姿。
たまたま、男性として描かれていたのは、いまどきの若く賢い女性の苦悩との対比のためなのかもしれない。
ベンの姿は、男女問わず年老いた時にかくありたい、という姿だった。

一方、2020年の日本では。
「ポテトサラダじいさん」などの怒りまくるおじいさんが大量発生している。
実際に、65歳以上の男性で警察沙汰になる数は増えているらしい。
もちろん、ロバート・デ・ニーロが演じたかっこいいおじいちゃんと比較するのは酷だとは思うけど、何が違うのだろう。

共通しているのは、「団塊の世代」という年齢。映画の中でベンは、70歳だ。
高度経済成長期を支えてきた人々。
ここからは私の憶測なのだけれど、高度経済成長期を支えてきたおじいちゃんが若いころは、敷かれたレールに乗っかって、誰か(だいたいは上司)に言われたことをバリバリこなしていれば、だいたいは幸せだったのだろう。
もちろん、そうじゃなかった人たちもいる。ただ、そうじゃなかった人は、大きく成功するか、幸せになる道から大きく外れるか、のどちらかだった。
ものごとをあまり深く考えないで、決められたとおりの道を歩いていれば、「老後も安泰」というやつだったはずなのだ。

ところが。
10年くらい前から、大きく情報の流れが変わった。産業が変わったというよりも、産業の動かされ方が変わった。
ものごとをあまり深く考えないほうが幸せだと信じて老人になってしまったおじいちゃんたちの世界は、ここにきて脳を使ってものごとを深く考えることを強いられるものに変わってしまった。
それは、つらいよな、きっと。怒りたくもなるだろうな。
しかも、ものごとを深く考えて、新しい考え方にシフトするというのは、とても体力を使うのだ。老体に鞭打たねばならない。

本来なら今頃、「老人力」を発揮して、これまでの経験則を存分に発揮できるときだったはず。
だけど現実は、新しいデバイスにも、新しい考え方にも、ニューノーマルにもまったくついていけない。悔しいだろうと思う。

そんなジレンマがいっぱいで、日本のおじいちゃんたちは、怒っているんじゃないのかな。と、思う。想像でしかないけれど。

ほんとは、これまでと考え方を180度変えなくても、新しい考え方とは共存できるはず。若さ=劣ったものという考え方を捨てるだけでいいのにね。もちろん、老い=劣ったものでもない。
お互いの知恵を尊重し合って、助け合っていけば、みんな幸せなのに。映画みたいに。

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