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忍耐と工夫

この北の大地も春が近づいてきて、暖かいところだと桜も咲き始めたようだ。
私も淡々と新しい一人の時間を過ごしている。
書きたいこと、記録したいことはあるのだが、書き始めてみると(ん これはまだ公にしてはいけないコンテンツが含まれるな…)となって断念、ということがあり笑、なかなか先に進まない。
 
以下、多くの人が経験しているだろうからいいかなぁ。
ホテルで働いている某国人が言っていた。清掃のアルバイトに来る某々国人、まず、一言でいうと汚い。体が臭う、洗っていない髪が落ちる。掃除した部屋に臭いが残り髪が落ちている。
掃除機をかけたというがゴミが落ちている。
前の宿泊客の忘れ物が部屋にそのまま残っている。
あーわかる。彼等は「目的」という概念がない。言われたことをするだけなのだ。掃除の目的は「きれいにすること」という意識がなく、「掃除機をかけろ」という指示があるから掃除機をかけただけ。だからゴミが残っているかどうかは意識にない。忘れ物をどうするかという指示がないからそのままにしておく。きれいにするということ自体意識にないから自分が臭いやら何やらを残すことなど気付かない。
(実際、ゴミが残っている件について指摘すると、「私は指示書のとおり掃除機をかけた」と指示書を見せながら言い張るそうだ)
(書いてから思ったが、これは子どもがこういう感じだな、国などに関係なく)
 
では某ファストフードのように事細かにマニュアルを作成して事細かにチェックする、という手法ならどうかといえば、たぶん成り手がなくなるだろう。
(なにしろ、部屋の清掃を「洗面所だけ」「床だけ」のように細分化して、一つの部屋の清掃が完了するまで3人くらい担当するという技を繰り出す業者もあるのだそうだ。アルバイトは覚える仕事が少なくすぐ現場に出られるが、当然無駄に時間がかかり、チェックも煩雑になるためホテル側が困る)
 
ただ、彼等を責めても解決はしない。たぶん彼等は生まれたときから目的意識がない文化に育ってきたのだ。これは文化の違いである。どう折り合いをつけるのかは私たちの問題だ。彼等にも努力が必要だが、同様に私たちにも忍耐と工夫が必要である。
この「忍耐と工夫」がなく、しかし外国人の働き手が欲しいというのは無理というものだ、という話は前職に就いた2017年頃からしている。その内容はいろいろだけれど。
ふーむ。
 
ちなみに某国人の国ではオフィスで人々はマンゴーを食べながら仕事をするそうで笑、「そういうのが理解できなくて、それで日本に来ました」とその人談。
私はミンティアをバリバリやりながら仕事していた時期があったので、それもどうかなぁと思うが、ともかく日本人対外国人という単純な構図ではなくなってきていること自体は良い傾向ではないかと思っている。

写真は2019年春の中島公園。
 

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