見出し画像

大忙し

夫が他界した。

それ自体は常に覚悟していたことだったが、ただ実際、あまりにも唐突かつあっという間の出来事で、この場面転換のはやさは夢よりも夢みたいだなと思った。
 
ご存じかもしれないが、家で(というか病院以外で)死亡すると事件性がないか確認のために警察が来る。
今回の場合、家で心肺停止、救急車で病院に運ばれ病院で死亡を確認した。が、既に家で心肺停止だったことから 病院・病室に警察が来て聞き取り→家に行って実況見分(?)→また病院に戻って終了→それから葬儀屋の車で遺体と共に帰宅 という順番。
帰宅してからお寺に連絡して枕経、葬儀屋と葬儀の打ち合わせ。
関東に住む子どもたちがその日のうちに帰ってきて、工程表(笑)の説明と業務分担の打ち合わせ。
 
こちらもパニックだし食欲もないからいいのだが、トイレに行く暇も食事の暇もなかった。だいたい、まだあたたかい夫の横で泣き崩れていてもいいのだが、連絡すべきところに連絡し、葬儀屋に連絡し、と業務満載なのである。幸い4年ほど前に夫の母が亡くなったときの家族葬の記憶がまだ新しく、葬儀どうしよう葬儀屋さんどうしようというのがなかったのがまだ救いであり、初めての体験ならもっとパニックだっただろう。病院に紹介された業者に流されるようにすべて任せてしまうことになりそうだ(夫の父のときはそうだった)。
 
葬儀の後は役所関係、各所名義変更、…to do リストを作成し毎日チェックを入れて進捗を確認。あれから4週間ほど経つがまだ全然終わらない。
それでも、仕事で携わってきた日本語学校新規開校の手続きやら留学ビザ取得やらほど面倒ではなく、(仕事よりはラクだわ)感で乗り切ってきた気がする(メンタル面が全然違うけれど)。仕事の経験があって良かった。何かと。
 
そして一人になり、これからのことを考えるといつまでも業務は続くのであるが、ともかく自分は生き続けるわけだしそうなると何より体が資本なので、体の声を聞きながら過ごしていきたいと思います。
 
写真は夫が撮ったクマゲラ。バードウォッチングが(も)好きだった。娘は父親のことを「鳥と音楽とさんすうが好きな人」と言っていた(笑)。手元にあったのは微分積分の本、そしてローリングストーンズの新しいCDでした。
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?