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食っていけなきゃ

もう昔の話だから書いてもいいと思う。
私が日本語学校の非常勤で仕事を始めたのは今世紀初め。コマ給(授業45分に対する報酬)は千円だった。当時非常勤は新人は週2コマ、4コマが当たり前(これ自体は肯定的な意見も多いと思う。授業準備が大変だから。授業準備をどう定義して、それに対しての報酬をどうするかという議論は別にして)。私は週8コマで多い方だった。それでも月32000円。
入社(?)時、同期の一人が昇給に関して学院長にいろいろ質問し、説明を求めた。そのやりとりの後の学院長「この業界も、食べていけなきゃならなくなったんだなと思います」。
 
いくら無知で鷹揚な私でもこれはインパクトがあった(だから覚えている)。その数年後、夫の扶養範囲を越えそうになって対応を希望したときも「うちの給料じゃ扶養越えないでしょう」と言われた。確かに、日本語教師養成講座講師も担当していたからの状況で、日本語科だけなら越えなかったと思う。が、しかし。
 
勤務先だけではなく、業界全体がそうだった、ということかもしれない。とにかく、
 
経営側が「食べていけない」報酬だと自覚しているし、それを特別視していない。
 
この状況で続けられる者だけが生き残れる。
(報酬の問題だけではなくいろいろあったが)実際、4月の新人同期6人、翌年3月に残っていたのは私一人だった。どんどん入りどんどん辞めていく。そういうシステムになっていた(としか言えない)。
 
私も何もなかったわけではない。子ども二人の保育園時代、保育料で給料が消えた。というか出勤する日が少ない月はマイナスである。

それでも現在の自分があるのは過去の自分があったからである。それは間違いない。しかしその後管理職の立場になって、別の視点から考えられるようになった。まぁそれはまた別の話である。
 
令和の時代になって、給与水準は上がっていると思うが、状況はどうだろう。収入が増えても困る人がいるのは現在でも同じであるようで、やれやれである。
 
写真は10年前、2013年学校行事で行ったパークゴルフ。ちょっと雨だった。
 

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