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心臓を 捧げるな

自分の話です。
前々職は日本語学校の非常勤講師を十数年、前職は日本語学校の校長だった。
どうして校長を、という話だけで二千字書けるが、今回は前々職時代の話。これも「私も大人になったから深酒と苦労自慢はしない」という自分ルールに引っかかりそうではある。
 
多くの教育職の人々が、授業準備に対する報酬について意見を持っているだろうし、それが報道で話題になることもある。私は何でも自分の勉強になると思って何でもやった(家族も教育職で、この姿勢に肯定的だった。その良し悪しは別として、ネガティブに考えたことはなかった)。〔自分の勉強〕と〔授業準備〕を分けて考えるようになったのは転職してからである。採用、雇用に関わり、管理に携わるようになったからだ。これ自体はいかに労働者に関する法律などを知らなかったか、興味を持っていなかったかということでもあり、忸怩たるものがある。知っていたら若い同僚をもっとサポートできたかもしれない。
 
あの学校では私に限らず、非常勤講師は全員、要するに何でもやらされた。何でも経験できたともいえるし、無報酬の作業が大量にあったともいえる。
 
いま、振り返って、なんであんなに仕事ばかりしたのだろうと思うことはある。同時に、あの経験がその後の自分になったのも事実である。転職後「何でもキャリアになるんだね」と娘に言われたが、私の場合うまくつながったと言っていいのだろう。
 
同業の先生方の中には〔自分の勉強〕と〔授業準備〕の区別がないようで、何でも〔授業準備〕と受け止めているのではないかと思われる方も見受けられる。個人的にはそれもなんだかなと思う。
とはいえ、自分がしてきたような、カネにもならんのにすべてを捧げるようなやり方もそれ以上にどうだかなと思う。これは今までもこれからも自分の課題である。苦労が悪いわけではないが、苦労しすぎもよくない。
 
前々職、辞めたいと思ったことは多々あった。続けていたのは留学生たちがいたからだ。最後まで見届けたい、責任を果たしたいと思ったら辞めるタイミングがないのです。教育職の人々なら共感していただけるのではないだろうか。
写真は10年前、2013年3月、卒業式後の打ち上げジンギスカン。この中には今も札幌にいて、ゲームクリエイターとして大成している人もいます。
 

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