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東京・横浜旅行①「長野って本当になにもないんだなぁ」

長野から東京は新幹線で約1時間ほど。
久しぶりに友人との旅行です。

「麻布台ヒルズと、横浜の観覧車をみたいです。」
実はミーハーです。
新しい施設とかお店は超気になるけどすぐには行きません。
もうそろそろ皆飽きたでしょ?のタイミングでなぜか行きたくなります。
めちゃくちゃ気になるのに天邪鬼な行動をしたくなる性格なのです。

友人は私のことを理解してくれ、そんなに行きたいわけでもないだろうに付き合ってくれました。
「トマト1500円だってー」
「アスパラ980円、絶対に買えないね」
「コーヒー屋さん?!おしゃれすぎて買えないんですけどー」
「このコーヒー屋で豆買ってる男性と付き合えないよね」
「120万円のテーブルってデカすぎて圧ありすぎ」
好き勝手になんでも言います。

富の象徴、麻布台ヒルズ。
さすが日本の首都。
並んでいるものは長野とは全然違います。


商品もそうですが内装も洗練されていて、公民館やスーパーのそれとは全く違います。
なんとゆうかオシャレなベージュ色で、意味があるのかないのか分からないけど波打っている壁なのです。
「たまには東京に来て、こうゆうの見るのって大事だね」
もちろん何も買わずに麻布台ヒルズを去りました。

麻布台ヒルズは数年前にフィリピンで行ったデパートに似ていました。
東京にいるはずなのに、東南アジアの高級ショッピングセンターにいるみたい。
フィリピンと違うところは、入口に銃を持った警備員がいなかったこと。
荷物チェックや検査場がなかったこと。
誰でも入れること。
日本ってまだまだ平和なんだなぁ。


それから東京を練り歩きました。
人が多いことは予測できていましたが、今回驚いたのは芸能人が多いこと。
芸能人と言っても実際に見たわけではなく、広告の大きな看板で笑っている芸能人のことです。
都会にお住まいの方は気づかれないかと思いますが、駅のホームや電車の中、ビルの電光掲示板などいろんな所に芸能人がいます。

一方私の住んでいる長野では、大きな看板の芸能人は一人もいません。
せいぜいスーパーのビール売り場に小さなのぼりで笑っているぐらいです。
目に付く所にある大きな看板には、近くのクリニックや観光地の案内が文字のみです。
必要最低限な情報しか書いていないのです。


友人と六本木の喫茶店でランチをしました。
そこからは首都高を見下ろせ、街を歩く人たちも見えました。
そこにも大きな看板が。
美容整形、家電、美容ドリンクなど。
「バーキンも豊胸も別にいいよねぇ…」
どちらも望んでいない私は言葉のインパクトに驚きます。
都会の人たちは無意識にこの広告を目にしているんですね。

広告から発せられているメッセージは
「このままのあなたじゃダメだよ」ということ。
「美しくならないと!変わらないと!もっと○○しないと」
そりゃぁ、毎日この中で生きてたらしんどくなるよねぇ。
今の自分を否定されてちゃしんどいよねぇ。

いっそのこと文字が読めない国の首都にいる方が自己肯定感上がるんじゃないか?
首都だったらある程度のインフラやショッピングもできるし楽しそうです。
難点は、文字が読めないこと。


首都高にはずっと車が走っています。
びっくりすぐるぐらいずっと車がいます。
車が一瞬でも視界から消えたことはありません。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」
方丈記の冒頭文が頭をよぎります。
まさにこれですやん。
鴨長明が川の水だったなら、2024年は首都高の車がそれにあたります。

同じに見える車も、それぞれ違う車なのです。
そして乗っている人の人生もそれぞれ違います。
みんなどこに行ってどこに帰るのだろう。


田舎者が東京に行って感じたことは
「田舎は自然があるから落ち着くって言うけど、本当は何もないから落ち着くのでは?」ということ。

山?花?田んぼ?車の少なさ?
都会のみなさん、勘違いしないでください。
「このままじゃダメ」を誰にも言われない環境がいいのです。

耳鼻科はここ。スーパーは2km先。○○町は次の交差点右。
これらは場所の案内のみでメッセージ性はほぼゼロです。
「この信号左で100km先に●●あります。」
場所の案内すらままならないこともあるぐらいです。


私が住んでる長野の町は多分マーケティングから漏れてます。
消費者としてあまり期待されていないんだと思います。
ちょっと寂しいけど、そのお陰で無駄遣いが抑制されてるならまぁいっか。
スーパーやゲーセンしか娯楽がないことも受け入れようと思います。




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