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ツナサンドとたまごサンド

もう30年以上経つのに
まったく色褪せずに
ふとよみがえるあの思い出のサンドイッチ

1992年 当時の私は
「デザイナーになりたい!」という志を胸に
デザイン学校に通う学生だった

とにかく毎日好きな「絵を描く」ことを
しかも学校で
1日中やれるなんて
夢のようで

だって 高校の時って
好きじゃない勉強をする時間の方が長くて
私の好きな芸術系の授業は
週にたった2時間
学校行事があればさらに削られる

『どうして高校って理不尽なんだろう
私は美術や音楽にしか興味がないのになぁ
他の勉強時間の方が長いなんてなぁ〜』

中学校までは絵に描く優等生だった
そして高校は特に目的も目標もないまま
中途半端に進学校に入ってしまったがために
好きではない数学や英語はまーったく追いつけなくなって

学校に行く目的は
友達に会いに行くくらい

部活もあまり力が入っていない高校だったので
つまらなくなって途中でやめた
こんな無駄な部活時間を費やすなら
家で絵を描いたりピアノ弾いてる方が
よっぽど有意義だ
そんなふうに思っていた

でもそんな中でも好きな芸術系の授業はちゃんと受けてた
よほど芸術系が好きだったんだね 私 

ーーーそんな闇の高校生活がすぎーーー
高校卒業後
デザイン学校に入学した

好きなことを1日中、しかもマルっと一週間
ずーっと勉強できるなんて こんな世界があったことに
喜びいっぱいの日々だった

でもあの日は少し気持ちが違っていた

出さなきゃいけない課題が追いついていなくて
2日間徹夜していた
いくら10代で若いといっても
2日も徹夜したら思考回路が乱れることを
その時の私は全然気づいていなくて

徹夜してもまだ納得できるものが完成しなくて
ぼーっと居間で座りながら
『あと2時間で提出しなくちゃいけないのに、、、』
『今回は提出見送ろうかな、、、』
『もう、今日は休んじゃおうかな、、、学校行きたくないな、、、』
なんて完全にバグり始めた途端に
大粒の涙が出てきた

ただただ涙が出て どうにも止まらなくて
『なんで自分は上手にできないんだろう』なんて考えちゃったりして

そんな時に母が突然
台所に立ちはじめた
(いや 本当はその時の私は台所に立つ母のことすら目に入ってなかった)

そっとテーブルに
ツナサンドとたまごサンド
私の好きな具材のサンドイッチ

「ここのところ、ろくにご飯も食べてないんでしょう?
 まずはこれ食べて。
 食べたら学校行く時間じゃない?」
と特に涙の理由も聞かずに

そういえば ごはん 何食べてたっけ?
そういえば おなかすいてたな
いただきます

食べながらも涙が出たけど
ふと途中から「涙の意味」が変わった
いつでも こうやって 見ていてくれて
こうやって そっとご飯を出してくれて
聞いてはこないけど きっとお見通しなんだよね
私は 私自身に対して「悔しさ」が込み上げるときに 泣くんだ
それをあえて言わないでいてくれる ありがたい

サンドイッチ ごちそうさまでした
行ってきまーす

そういって 笑顔で私は学校へ向かった
ちゃんと課題も提出した
今の私のやれるだけの力をそこに注いだんだから
自信満々で出せばいい
そう思ったんだ

そう思えたのは
サンドイッチに込められた
母の愛のおかげ 振り返るとそう思う

30年以上経つのに
まったく色褪せずに
ふとよみがえる思い出のサンドイッチ

サンドイッチ ごちそうさまでした
行ってきます



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