付き合うということ
noteで見かける彼氏のいる女の子の記事はどれも好きを沢山詰め込んだような綿菓子で、本当に羨ましいなと思う。いつかそんなでろでろに甘やかしてくれる人と付き合うかもしれないけど、同い年で同じ大学にいる対等な人間と付き合った泥臭いような日々も忘れないように書いておこうと思う。
恋愛とは学びだ。恋愛を経て成長するとは本当だったんだなあと実感しているところ。
友達には嫌なのに言わないことも恋人だと後々爆発の火種になるし、自分の御機嫌を取るのは大事だし、いい人ぶるとしわ寄せは必ず来る。
他人の意見が最優先で、友達と遊んだあとも別に楽しくなかったなーと思うことの方が多かった私が変わる機会だなと思う。
彼も彼であまり他人に気を使わない人間なので、今まで友達同士でも私が気を使っていることに気づいてくれて私の意思を汲み取ってくれる、そういう優しさに気づいて私もなんでもいいよと言える、というループが全く出来ず、私もちゃんと自分の意思を持ってぶつかっていかなきゃいけない。しんどいけど、そこは性格を変えるいい機会だと思って頑張ろうと思う。
思うに、早くに距離を縮めすぎたのだとも思う。付き合ってから2ヶ月、一週間以上離れたことがなく、必ずどちらかの家でご飯を作るような生活だった。彼氏ができる前は絶対見せられないと思うような姿ももう晒してしまったし、私の秘密も何もかも全部話してしまった。遠出もした(喧嘩して帰ってきた)。
もっと遠くから少しずつ近づいて、恋愛の楽しいところを引き伸ばして付き合う方法もあったはずで、結婚でもしない限りこんな深く付き合う必要無かったのかな。恋愛の楽しいところって言われてもよくわからなかったけど、こういうことだったら分かるなあ。
お互い決して相いれない部分がもう見えてしまい、それで喧嘩して、これがどう後々響いてくるかなと心配だし、今私は実家に帰省していて多分彼は飲み歩いていて、帰ったら浮気したっていわれるかもしれないし。悩みは尽きない。
でも、土曜日バイトが終わって餃子をたらふく食べ手を繋いで商店街を歩いた晴れの日とか、彼の家の近くの八百屋でおじさんに説明されながら食べたみかん、突然買ってきてくれたラーメン屋のプリン、喧嘩後に食べた寿司、手を繋いで帰った夜道、ラーメンを食べたあと寄った昼下がりの公園、眼差しや肌の感触、久しぶりに会った時にする顔となんだかうきうきした感じ、好きだとか簡単に言えない不器用なところも、私が帰省する最後の夜に普段入れない紅茶をいきなり入れて、お歳暮で貰ったお菓子も出して一緒に食べたり、
私の家で朝起きてこの人を見る度、あまりにも馴染みすぎて他人とは思えなくて、何考えてるんだろうこの人は?と考えるようにしている。私の男の人。
何年経っても誰と付き合っても、初めて付き合ったこの人のことはずっと思い出すだろうな。それは楽しいからで。今はその感覚で十分なのだ。
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