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静かな熱【感想文の日㊼】

こんばんは。折星かおりです。

第47回感想文の日、今夜感想を書かせてくださったのは藤田七七さんです。

普段、バーにまつわるエッセイや小説を書かれている藤田さん。甘い会話をする男女や絶妙な距離感で佇むバーテンダーが登場する物語は静かでいて、時にビビッドです。私もお酒を飲み始めて数年が経っているはずなのに、何だか大人の世界を覗き見たようでどきどきしながら作品を拝読しました。改めて、ご応募くださりありがとうございます!

今回は、藤田さんからご指定いただいた3作品をご紹介いたします。

■本当に美しい人との夜に

週末の夜、決まって自らが経営する「バームーンリバー」に現れる"彼女"。早い時間のうちはワインとともにゆっくりとディナーを楽しんでいますが、深夜になると彼女は「女王」として覚醒します。カウンターで隣に座った客やスタッフに有無を言わせずお酒を飲ませたり、"私"を突然呼び出したり。お酒が時に露わにし、時に隠してしまう彼女の気持ちとは……。

冒頭、"私"にとって「本当に美しく自由で魅惑的」な存在として、『ティファニーで朝食を』のホリーゴライトリーと並んで語られる彼女。「女王」になった彼女の様子はかなり強気で、わがままな振る舞いにはこちらまでどきりとしてしまいます。

夜が深まるに連れて彼女の意思は自由に赴き、ターゲットと酒を決めるとそれを大胆に飲ませた。
私を見ると彼女は不服そうに言い、目の前にあるワイングラスを私の口に付けた。
「のど渇いてるでしょ」
そう言うと彼女はワイングラスの底を上げた。

しかしある日、"私"はそんな彼女から銀座のイタリアンとワインバーに誘われます。

「今日はちゃんと五感で味わって飲みなさい」

その日の彼女はいつものわがままな様子ではなく、落ち着いたエレガントな雰囲気を纏っていました。その美しさは、"私"の味覚を失わせてしまうほど。しかし、彼女の美しさは外見だけのものではありませんでした。

品位ばかり求めていたら潤いが欠けるし、欲に寛容な街にはお金が回りその街の店は潤う。銀座は両方のバランスを保って活きてきたの

ワインバーのカウンターの隅で、女性にワインの価値を語る男性を見て、これも必要なことだ、と彼女は語ります。「スマートさばかりが求められるわけではない」。自身は洗練された雰囲気や仕草を纏いつつ、そう言えるようになるまでの時間と経験に思いを馳せます。孤独な時間も、悲しいことも、きっとたくさんあったはず。もしかすると「女王」として誰かにすがらなければ、立っていることが出来なかったのかもしれません。

森が光を浴びて新緑を増すように、彼女は一流の感性をじっくりと吟味して味いそれを自身の感覚に溶け込ませた。やがてその感覚が彼女の振り舞いとして表れると、無意識の美しさは彼女の輪郭を縁取った。

彼女の美しさを冷静に、緻密に紡ぐ文章もまた美しく、ため息がこぼれます。甘美な雰囲気の中に潜む、ほんの少しの痛みが刺さる大人なお話です。

■惚れた彼女と夏の夜に

「今ここを歩いている時のことは、この先もずっと覚えているからあなたも覚えていてね」。10年前、バーへの道すがら、片思いをしていた"彼女"にそう言われた夜のこと。夜道での会話、バーでのやりとり。いつまでも色褪せることのない、夏の夜のお話です。

原宿駅を降りて、2人で表参道を歩きはじめたとき、夏の風が彼女の短い髪を揺らした。その香りが風と絡まり僕の五感に届くと、この上ない心地よさが感じられた。

彼女と"僕"を包む、夏の夜の描写が素敵です。夏の夜風の温度が蘇りそうなほどに鮮やかな文章から、片思い中の彼女と一緒にいた僕のときめきが伝わってきます。

静かなジャズが流れる薄暗いカウンターで、尾崎さんが艶やかな夜を整えると、僕らは互いを意識しながら彼女はマティーニを、僕はギムレットをオーダーした。

「艶やかな夜を整える」。きらりと光る表現に、物語の雰囲気がぐっと引き締まります。作中で引用されている「バーラジオ」の店主・尾崎さんの文章に「『ラジオ』は『現代の茶室』でありたい」とありますが、「茶室」の雰囲気ととてもマッチしていて、息をのみました。

数年後、カフェで再会した彼女と"僕"。あの言葉は変わらず覚えていたけれど、ふたりはもう変わってしまっていて。戻ることも、これから関係を変えることも出来なくても、"僕"はきっといつまでも、あの夏のことを覚えているのでしょう。

■失うことを受け入れること

幼い頃から本や音楽に囲まれ、ひとりで過ごすことの多かった"香織"。中学生になってより深くその世界を楽しむことが出来るようになった香織は、毎晩カズオ・イシグロの『日の名残り』の61ページを朗読して、眠りにつくようになりました。執事のある語りを朗読すると、決まって夢にも執事が現れるのですが……。

執事は夢の中で香織に甘く温かい紅茶を入れてくれた。
香織が紅茶を飲みながら日常生活で感じた疑問を執事に投げ掛けると、執事は的確に答えてくれたが、夢の中で執事が答えられる疑問は1つだけだった。

甘く温かい紅茶をモチーフに紡がれる夢がとても美しく、幻想的です。執事が答えられる質問はたったひとつ。しかも、夢から覚めたときにその答えを思い出すことは出来ません。

そしてある日、とうとう香織は執事に尋ねます。「どうしたら現実世界にあなたの答えを持ち込むことが出来るのか」。しかし執事は何も答えず、ただ悲しそうな表情を浮かべるだけでした。

夢は終わりを告げて香織は目を覚ました。その肌には夢で感じた紅茶の熱が保たれ、香織を内側から温めていた。

最後には、現実世界での執事の不在を受け入れた香織。しかし、夢から覚めても紅茶の熱は感じられたように、執事の言葉もきっと心の奥底から香織を温めているのでしょう。たとえ、言葉そのものは思い出すことが出来なくても。

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