物語るひとに【感想文の日㉒】

こんばんは。折星かおりです。

第22回感想文の日、今回ご紹介させていただくのは利瑚 莉朱(Lyco Ris)さんです。

2020年9月からnoteを始められ、毎日投稿を続けられている利瑚莉朱さん。普段書かれているのは、日常のことやショートショート。週末には一週間を振り返る短歌も書かれています。振り幅の広さが本当にすごいなぁと思いながら、楽しく読ませていただきました。改めて、ご応募くださりありがとうございます!

それでは、ご紹介いたします。

■地下の世界というのは今何処

地下にあると語られてきた「黄泉の国」と、日本でもうすっかり浸透している「天国」という言葉。どちらも「死者の行き着く先」には違いないのに、どうして「地下」と「天上」ほどその言葉のイメージは違うのでしょうか。大学生の頃に学ばれていたユング心理学の考え方や、おじいさまやお母さまが亡くなったときの記憶を振り返りながら、その謎について考える利瑚莉朱さんの言葉が綴られています。

「黄泉の国」と「天国」。どちらも何度も聞いたことがある言葉なのに、今まで一度もその違いについて考えたことがない自分にはっとしました。確かに、神話や言い伝え、ことわざなど各国に似たようなものはたくさんあるけれど、同じものを指すのにここまでイメージが異なる言葉は、なかなかないですよね。

私も利瑚莉朱さんと同じように、亡くなったひとのことを思うときは「上に向かう姿」をイメージすることが多いのですが、「答えなんてあるのかも分からない」と前置きしつつ語られた利瑚莉朱さんの考えに深く納得しました。

もしかすると、地上と天上は、同じものであるという認識があるのかもしれない、なんてことも考える。表裏一体、のような感じで。正体が見えない、分からない、という点では、きっと昔それらは同じものだった。

ふたつのものは「正体が見えない」という点で同じもの。そう考えると、遠く離れていた「地下」と「天上」がぐっと近づきます。

そして中でもぐっときた部分はこちら。

地下の方が私は好きだな。なんだかまだ、現世と繋がっていそうで。黄泉平坂は岩で遮られるまで、辿れる道であったのだし。けれど隔たりがないという意味では、天上の方が近いのかな。どうなんだろう。

ほろりと緩んだ利瑚莉朱さんの語り口に、おじいさまやお母さまへの思いが滲んでいるようで、心がきゅっと掴まれたような気持ちになりました。「地下」と「天上」は違うようで、それでいて表裏一体。読みながらぐるぐると考えてみたけれど、きっと答えはこれに尽きるのだと、私も思います。

きっと、信じた場所に彼らはいてくれるのだと思う。忘れないように、これからも語りかけ続ける。

■ホットケーキが食べたい ~ショートショート~

上司からヒステリックに怒鳴られている後輩のフォローに入り、定時に帰るために能率的に仕事を回す”私”。業務を遂行しても感謝されるわけでもなく、納得いかないことを指摘しても針のむしろになるばかり。そんな「優しくない」世界を駆け抜けるストレスを発散するために”私”はスーパーのデザートコーナーを覗くのですが……。

お話の序盤で”私”は、後輩をフォローし、間違っていることははっきりと指摘できる、強くて頑張り屋な人物として描かれます。それでも、心無い言葉や冷たい世界に、少しずつ溜まってゆくストレス。それを解消するためにスーパーで買おうとしたのは甘いものだったはずが、”私”が手に取ったのはサラダでした。太るし身体に悪いしなぁ。そう考えて、”私”は自分の気持ちにブレーキをかけていたのです。

切ないような、ちょっぴり苦しいような気持ちがこみ上げました。大人になるにつれてどんどん複雑に、難しくなってゆくこの世界。サラダを食べながら、”私”はお母さんが焼いてくれたホットケーキに思いを馳せます。

母が次々に焼いてくれるそれを、出来あがったそばから妹と競うように食べる。熱々のホットケーキは、いびつで薄っぺらくてほんのり甘くて、蜂蜜かバターを付けて食べるのも美味しくて、いくらでも食べられた。身体にいいとか悪いとか、考えなくてよかった。

今よりもっとシンプルな思考だったはずの、幼い頃の自分。懐かしく思い出すあの頃の時間とホットケーキの温度が混ざり合って、”私”にそっと寄り添いたくなるような、切なくも温かい読後感に包まれました。

■言葉という武器への挑戦 

「言葉は武器だ」という表現の通り、昔から喧嘩や恋に使われてきた歌や言葉。相手のために選ばれ、相手に向ける言葉には「愛」があると利瑚莉朱さんは考えているそうです。例えば、さまざまなルールに則って紡がれる短歌は、言葉を選ることで感情をより正確に意識し、研ぎ澄ますひとつの方法ではないか。そう考えて利瑚莉朱さんが挑戦した短歌がぎゅっと詰まった、素敵なnoteです。

短歌、いいですよね……。すごいなぁ、やってみたいなぁと思いつつまだ尻込みをしてしまっているのですが、限られた文字数から情景や感情をイメージさせる言葉の選び方に惚れ惚れしてしまいます。その魅力を余すことなく表現されている、利瑚莉朱さんの言葉がこちら。

短歌、という制限された中で表現する行為は、そのルールに則るために言葉を精査する必要がある。それは、感情を一度ならして耕しなおす行為に似てはいまいか。言葉を選ることによって、瞬間瞬間の感情をより正確に意識する。そして、研ぎ澄まされた形に昇華する。

そして挑戦された短歌の中で、個人的に素敵だなと思ったものがこちらです。

迷えども 迷えどもまだ茜空 凪ぐ時それは イニシエーション

空の色のみならず、影の濃さまで目に浮かぶような表現に息をのみました。これからも、利瑚莉朱さんの「今週の短歌」を楽しみにしています!

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