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第5話ー初めて文章化するNYCで暮らして学校に通った6年間ー10代の少女が感じたこと 「カフェテリアとタレントショー」

学校の地下にはカフェテリアがあって、昼食はそこで食べた。ケースの中に、マカロニチーズ、ラザニア、バゲットサンドなどが並んでいて、レジまで運んで各自お金を払う。飲み物はホットチョコレートが人気だった。ソフトドリンク類は自動販売機で買う。この頃、アメリカではすでにダイエットコーラが一般的だった。アメリカ人はこんなまずいものをよく飲めると思った。
 
後ろの壁には、アメリカの青春映画などで見かけるジュークボックスが置いてあって、中にはあのドーナッツ版と言われていたレコードがたくさん入っていた。いつも誰かがコインを入れていたので、カフェテリアにはいつも音楽が流れていた。カーリー・サイモン、キャロル・キング、ローリングストーンズなどの歌がかかっていた。レコードは時々新しいものに入れ替わっていた。
 
日本のような校庭はなかった。他の学校でもなかったと思う。だから私の大嫌いだった朝礼や運動会はなかった。日本では毎週月曜日の朝、背の低い生徒から順に並んで、手を伸ばして「前ならえ」。見上げるような高い位置で校長が話しているのを早く終わらないかと待っていた。好きでもない校歌を歌った。NYCで暮らして数年後、日本の朝礼や運動会は異常に思えるようになった。全員参加、校歌、行進、各種競技…今はどうだか分からないが、個性を発揮すること、他と違うことを許さない軍隊にしか見えない。
 
タレントショーというのは、歌や踊りが好きな生徒による自由参加のイベント。私は絵を書くことが好きだったので、背景などの大道具を担当した。演目は1年生がブロードウェイ・ミュージカルの「スィートチャリティ」、2年生が「ウェストサイド物語」だったと記憶している。ピアノ演奏は最年長の日本人生徒。きちんとピアノを弾けるのは彼女が学校で唯一だったと思う。肝心の演技はどうだったかと言うと、決して上手いとは言えなかったが、ステージの彼女たちは皆、自信に満ちていて堂々として、心から楽しんでいた。
 
さて、毎日の授業はどうだったかと言うと、これが今思い出しても辛くなる。科目は英語(国語)、数学、社会、聖書、体育、美術、理科、外国語(フランス語かスペイン語から選ぶ)。数学は日本より遅れていたので何とかなった。美術も楽しめた。体育も見よう見まねで何とかなった。
 
どうにもならなかったのはそれ以外のクラス全部。ちなみに私は英語の習得を優先させたかったので、外国語は免除してもらった。まず、どのクラスでも教師の言っていることは99%分からなかった。
 
国語の宿題は単行本を一冊渡され「来週までに第3章まで読んで来なさい」。単語を一字一句辞書で引いていると1ページ読むのに半時間はかかった。それも理解は3割程度。父が見かねて、毎夕食後に一緒に読んでくれた。単語をいちいち調べていたら時間がかかり過ぎて読むのが辛くなるだけ。意味が分からないと話の筋が見えてこない単語だけを調べるように、と言われた。

社会は世界史だったと思う。宿題はレポート作成。学校の図書室にこもって、百科事典を開いて、読んで、まとめて、書く。今でいうコピペだったのかも知れない。
 
 

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