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編集者に赤入れをしてもらえる幸せ

「いいもの書いたぞ」と思っていたものにダメ出しされると、凹む。
それは誰でも同じと思うけど、中にはそれが耐えられなくなってしまう人もいるらしい。

ライターの書いた原稿は、大抵直されるものだ。
そう思えると随分ラクなはずだけど、もしも「そんな簡単に割り切れない」と思われる人がいたら、こう考えてみるのはどうだろう。

相手は自分を批判しているのではなく、より良い原稿のために言っている。と。

人間関係てとてもややこしくて、自分の伝えたいことが不本意な形で受け取られてしまうことってたくさんある。相手の発言に対して「でも、私はこう思うよ」と反論した途端、突然ムキになって怒ってくる人とか、いませんか。
そんな時は、”自分を否定された”と思わせたかもしれないと思うようにして、改めてしっかり共感してから自分の伝えたいことを丁寧に言い直す。
すると、先ほどよりはすんなりと受け入れてくれる。

伝える方にも気配りが必要かもしれないし、ライターと編集者の関係でいえば、赤入れする編集者は書き手であるライターに対する配慮があった方がいいんだろう。(いや、既に日々すごく神経使っていらっしゃると思う・・・)

ただ、ライター側も”ダメ出しされた!”と憤慨したりメンタルボロボロになるんじゃなくて、時間を割いて赤入れしてくれた相手に対してまずは感謝の気持ちを持ちたい。
たとえ原稿が真っ赤になって戻されても、落ち着いて。
きっとどこにも、あなた自身を批判する言葉など書かれていないはずだから。

編集者の存在は本当に心強い。
自分の見落としたダサいミスも一つ残らずちゃんと見つけてくれ、いつの間にかクセづいてしまった文章のワンパターン化をさりげなーく指摘してくれ、その上で「次も楽しみにしています」と期待してくれる。

クライアントの利益のために書く文章だったとしても、どこかで私は目の前にいる相手のために書いている気がする。一番に見せる相手を喜ばせたくて、期待に応えたくて書いている。

そうして書き上げたものは決して邪気にされない。
魂を込めて書きました!と言わずとも、ちゃんと受け止めてもらえる。
だから、直されることは何も怖くない。
最高と胸を張れるものを作るための、キャッチボールのようなものだから。


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