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長男1回目 5

奔走

担任とは『起立性調節障害』であることも含め、その後何度か話した。
当時はまだ今ほど同様の症状の子は少なく、担任も知らないようで、まったく話が通じない。それどころか、自分の考えを一方的に話し続けられる。
この先生は無理だ。たとえ頑張って登校しても、同じことが繰り返されるに違いない。
埒が明かないと判断した私は、長男含め同じクラスの子供たちや、その担任の様子もできるだけ探ってみた。といっても、なんせフルタイム勤務、PTA活動的なものやご近所付き合いも最低限ゆえ、なかなか難しいか…と思ったが、程なく保護者複数から苦情が出ていることを知る。
また、当時の教頭先生が前校でも件の担任と同じ学校にいたということも知った。

「学校に言ったら、モンスターペアレントなんて思われるのかな…」
「いや、起立性調節障害という診断に加え、由々しき事実がある以上、これは伝えるべきだ!」
「でも長男が宿題しなかったのも、態度悪かったのも事実だし…」
「だからって熱があるのに、放置どころか体育やらせるなんて、安全管理上大問題だ!」
当時、誰にも相談できなかった私の思考は、ひとりで堂々巡りをしていた。

正直なところ、長男を休ませようと考え始めた頃は、まだ周囲からの声や目を気にしていた。
でもそれは結局「自分がどう見られるか」という視点。
とかく日本は、子供の素行は母親のせいみたいに言われることが多い。そしてそれは私の思考にも刷り込まれていた。

しかし目の前の長男は、眉毛を抜く、血が出るほど自分で腕を引っ掻く、自ら壁に頭を打ち付けるといった行為が増えていく。

やっと私は、他人の視線なんてどうでも良くなった。

直談判

小学校に電話し、教頭先生と直接お話したい旨を伝えた。
教頭先生は直ぐに時間を取ってくださり、私達にしっかり寄り添うご対応をいただけた。
「起立性調節障害」についても熱心に聞いていただき、遅刻してでも来られる時は来て欲しいし、教室が難しいなら保健室にいていいよ、と言ってくださった。

結果的には聞いていた通り、その担任には複数の苦情が寄せられていたらしく、長男が小5になるタイミングでいなくなった。
また教頭先生のご配慮だろう、小5のクラスには長男の親友が一緒、若い男の子先生が担任になった。

長男にとって悪魔のようだった担任は、目の前からいなくなった。
長男が、小4の頃の教科書を捨てたいと言った。見て思い出してしまうようなものはすべて捨て去りたいと。
どれだけ辛かったのだろうと涙が出そうになったが、ぐっとこらえて、長男とふたりで4年生の教科書、ノート、プリント類をすべて捨てた。
唯一、1/2成人式の未来に向けた作文について市から表彰されたものがあり、その賞状だけは取ってある。
クラスの集合写真も捨てた。先生が写っているから。

しかし、一度ボロボロになった心の回復には非常に時間が掛かり、すぐ登校再開には至らなかった。一度、自分の周辺世界に心を閉ざしてしまった少年は、そう簡単に心を開かない。
前回にも書いた通り、起立性調節障害もすぐに改善するはずもなく、朝起きられず、夜眠れない状態も続く。諸事情を家族に説明するも、父親としては細かく理解が及ばなかったのだろう、相変わらず長男への怒りは続いていた。

そしてある時とうとう、私自身にも異変が起こることになる。
(私の異変の1回目ということになる)


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