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私たちの今

ぼんちゃんが我が家に来た頃 夜になると、いつもどこで眠ってるのかわからないようにこっそり隙間に入って眠った


この1ヶ月は本当に飛ぶように過ぎました。看病の中で、これは書いた方がいいなって思うことはたくさんあったのですが、とにかく精一杯の状態で、もう書くということが頭から消えていました。ただひたすら、二人で駆け抜けたように感じています。


ぼんちゃんは、6月28日の月曜の夜、容態が急変し逝きました。そして、私は、まだ、現実と記憶とそれらのゆらぎの間で、ひとり困惑し、悲しみが和らぐ時を待っています。


がんの発覚から5ヶ月、あの子は本当によくがんばりました。あの闘病生活をこれだけがんばれたのは、多分元々、健康で体力があったからなんだろうと思います。そして何より、私たちは、もっと一緒にいたかった。


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我が家に来た頃 骨が太く元気いっぱいで、この子は大きくなるだろうなってみんなで話てたら、本当に大きな猫になりました。


この1ヶ月半ほどは、とりわけ、私たちにとって困難な日々が続きました。ぼんちゃんの呼吸はどんどん苦しそうになり、後脚のむくみはひどく、できることといえば、脚を高くするか、軽くマッサージするくらいで、ただ様子を眺めているだけの日々が続きました。


亡くなる4日ほど前に、貯まった胸水を抜いてもらい、それでほんの少し呼吸が楽になったようでしたが、同時に、時々吸うことも吐くこともできず、あえぐような発作を起こすようになりました。

病状がよくない時は、ただ嵐がすぎるのを待ちました。とにかく毎日できることをして、そして一緒にいる時間を大切に過ごしました。

添い寝をしていると、少し調子の良い時は、私の方に上体を乗り出すようにしてひっついてきました。私たちはいつも、背中をくっ付けたり、頭をくっつけたり、手を握ったりしながら眠りました。

側にいると、あの子の呼吸の状態が手にとるようによくわかりました。水が欲しい時も、トイレにいきたい時も、うとうと眠っていてもあの子の変化はすぐにわかりました。

そんなようにして、夜は2時間おきぐらいに起き、昼間はいつもどおり仕事や家事をしながら、あの子の介護をするので、体はとても疲れていたのは確かです。それでも、そんな時間でさえ、私たちにはかけがえのないものだったから、それをやめたいと思うことはありませんでした。私も気が張って、一生懸命だったのだと思います。



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飛んだり跳ねたりするのが好きだったので、筋肉も育って頑強な感じだった頃。よく後ろから追いかけてきては、私の脚に飛びついて、遊ぼうって言いました。


あの子が逝ってしまった朝。

早朝に、あえぐように苦しそうな呼吸をしていたので、そのまま横に寝かせていましたが、しばらくすると楽になったようで、トイレに行く合図をしました。

あの子は、自分で立てなくなっておむつをしても、必ずトイレに行くと私たちに言いました。とても小さな時に我が家に来たのですが、その頃から、特に躾もしないまま、きちんとトイレに行きました。実は一度も粗相をしたことがありませんでした。

その日は、終日お仕事の日だったので、いつもどおりトイレの後、おしり回りを腰湯してきれいにして、かぶれてすっかり毛が抜けてしまった肌に馬油を塗り、赤くなっているところに軟膏を塗って、そしておむつをつけてしばらく縁側でゆっくりしました。


仕事に行く前に、あの子を抱いて、庭に降りゆっくり歩きました。

紫陽花が咲き

薔薇が咲き

ミントやセージの花が咲き

早朝やわらかい光のなかで

穏やかで平和な時間をすごしました。

体はまた一段と小さくなって、とても軽かった。悲しく、寂しく、そして同時に美しく、親密な時間でした。


ふと、あの子が今もその辺りにいるような気がします。

時々、あの子の匂いを感じる時もあります。

今しばらくは、あの子が残してくれた大切な思い出を抱えながら、ゆっくり時間をかけて回復していきたいと思います。


ぼんちゃんのことを、まるで家族のように心にかけてくださった方々、回復を祈ってくださった方方々、本当にありがとうございました。

それは、いつだって、私たちにとって大きな力になりました。


かおり