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【シティ・ポップはなぜ流行った】"Aesthetic"と”Nostalgia”の話

ご無沙汰しております。

カウントダウンジャパンで、念願だったサカナクションのライブを見ることができ感無量な年末。ラストの「忘れられないの」で踊り狂いながら、この記事が下書きのまま化石になりそうなことがふと、頭をよぎりました。

なんとか年が明ける前に書ききって、成仏させようと決心をした次第です。(追:結果、翌年2月までさらに熟成されてしまいました。)山口さんありがとうございます。

思えば2019年は、ここ数年海外で広まっていたシティポップ再発見ブームがついに日本でも広く認知され、「行くところまで行った」一年だったように思います。夏にはタワレコでシティ・ポップの大・プッシュが展開され、「忘れられないの」のようなシティ・ポップへのオマージュ作品も増えました。

ちょっと遅くなりましたが、そんなここ数年のシティ・ポップ再発見ブームがなぜ起こったのかを、留学先ロンドンの体験などを踏まえて振り返ってみようと思います。前書きはこちらです。


(音楽ジャーナリストでもなんでもない、主観入りまくりの内容かと思いますがお付き合いください。)


"Aesthetic"と"Nostalgia"。

プロセスとしての「どうやって」流行ったか、ではなく、「なぜシティ・ポップが海外の若者に刺さったのか」を考えていく上で、大事なキーワードが、この二つだと思います。ぶっちゃけ、シティ・ポップだけではなく、Future Funk, Vaporwave, LoFi Hip Hop... 最近の音楽トレンドに共通するキーワードです。


試しに、シティ・ポップ関連動画のコメント欄を見てみてください。必ずと言っていいほど、「I love 80s aesthetic」「I feel so much nostalgia!」というようなコメントを目にするはずです。

ノスタルジア【nostalgia】:異郷にいて、故郷を懐かしむ気持ち。また、過ぎ去った時代を懐かしむ気持ち。郷愁。ノスタルジー。「ノスタルジアをおぼえる」(出典:デジタル大辞林、小学館)


過ぎ去った時代を懐かしむ気持ち。

子供の頃に聞いていた音楽に再び出会う感覚。

音楽は、その時代の空気感をビートに閉じ込めたタイムカプセルですよね。

City Pop Best Compilation的な動画のコメント欄を見ていると「why do I feel such a nostalgia although I've never lived in Japan lol」(日本に住んだこともないのに、なんでこんなにノスタルジーを感じるんだ!?笑)…というようなコメントをよく目にします。

80年代の邦楽は、当時の欧米のトレンドのエッセンスをいいとこ取りして発展していったわけですから、欧米で育ったり、欧米の音楽を聴いて育った世界中のリスナーが懐かしさを感じるのは必然的な気がします。この後さらにじっくり書こうと思いますが、80年代日本の景気状態と現在のコントラストや、当時のアニメが海外に輸出されていた背景も、この「ノスタルジー」の要素を生み出しているのではないでしょうか。

そして、二つ目のキーワードが「Aesthetic」。

「音」だけでなく、動画に使われているループ画像のアニメの色彩やデザインの感じにも注目してみてください。


び‐がく【美学】の意味《aesthetics》1 美の本質、美的価値、美意識、美的現象などについて考察する学問。  2 美しさに関する独特の考え方や趣味。「男の美学」(出典:デジタル大辞林、小学館)

aestheticsという言葉は本来、美意識という概念を指す言葉で、特定のスタイルに言及するものではないはずなのですが…最近のネットカルチャーでの「aesthetics」には、共通する空気感というか世界観、デザイン性があるんです。

言葉で表現するのは難しいので、試しにグーグル画像検索でaesthetic tokyoとか、aesthetic anime sunsetって入力してみてください。

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そうそう、こんな感じです。

色彩で言えば、ネオンに輝く都会の夜、原色に彩られたトロピカルな世界、あるいはピンク・紫・水色などのパステルを組みあわせた夕焼けのイラストなどが、ネット用語「Aesthetic」から連想される世界観です…

Artzie Musicや、爆増する"80s City Pop Essential Remix"に使われるアニメのループ画像などがその例。アニメに限らず、"A LONG VACATION" などのアルバムジャケット制作で知られる永井博さんのイラストも80年代の美意識として愛されています。「Plastic Love」の代名詞となってしまった竹内まりやさんのモノクロ写真もそう。(収録アルバム”ヴァラエティ”のジャケ写は、全然違う画像だそうですね。オリジナルのジャケ写のまま投稿されていたら、Plastic Loveもここまで流行らなかったかも…)

LEDや白熱灯ではなく、ネオン。スタイリッシュすぎるCGではなく、手書きのぬくもりが感じられる世界観……これが最近流行りの「aesthetic」です。なんとなく、伝わりますか…?

やっぱり80年代〜90年代のアニメ作品のサントラの影響があるんじゃないか説

アニメきっかけの音楽的流行といえば、Lo-Fi Hip Hopブームが記憶に新しいですよね。あれは、nujabesさんがサントラを提供したSamurai Champlooなどのアニメが海外でテレビ放映されていたことがルーツの一つ、というのが通説でした。詳しくはbeipanaさんが素晴らしい記事を書かれているのでぜひ(こんな風にきちんとした記事がかけるようになりたいです)。


今までに紹介したYouTube動画のループ映像にも明らかだと思いますが、似たようなことが、City Popブームにも言えると思うのです。

ここで、80年代アニメの音楽について見てみましょう。

例えば、フランスの実写版のクオリティーが高すぎることで再度話題になった「シティーハンター」。"Get Wild"はもちろん有名ですが、こんなかっこいい曲も。

海外ファンの、「Aesthetic」のルーツは、やっぱりこの辺にあるんじゃないかと思うのです。めっちゃ大人の美学って感じ。夜の都会の描かれ方、色彩の使われ方… 

それに音楽的にも、シティ・ポップの音像、感じませんか?この曲はよくあるシティ・ポップよりもテンポが早めですが、やはりあの時代の音質、シンセサイザーの使われ方に共通点がありますよね。

例えば、ミレニアルサブカルオタクに絶大な影響力を誇る「セーラームーン」。月野うさぎが変身するシーンの音楽。


改めて聞くと、めちゃくちゃかっこよくないですか…?
シンセとホーンズのマッチング、エモいストリングスの旋律。そこに乗っかる「Wo wo~ Sailor Moon♪」とか、すごいシティ・ポップにありがちな「サビ終わりの以上に英語の発音がかっこいいコーラスの声」って感じ。

もちろんアニメの挿入歌の方が、アップテンポだったりよりカラフルな飾り付けがされているわけですが、音色やグルーブに共通項が見出せるかなと。また、ボーカルのクセのない歌い上げっぷりも、共通していると思います。

小さい頃見ていたアニメの音の響き。それをより洗練させたかのようなシティ・ポップの音とボーカルに、ノスタルジーを感じた。こういったサブカルオタク層の心を掴んだからこそ、シティ・ポップブームは始まったのではないでしょうか。

さらに、「シティ・ポップ人気は、80〜90年代アニメが蒔いた種が花開いた結果である」という仮説は、「どうして80年代生まれでもないミレニアル・Z世代の海外ファンがシティ・ポップにはまったのか」の理由付けにもなると思うのです。

というのも、これらのアニメが日本で放送されていた時期と、海外での吹き替え放送がされた時期には時差があるからなのです。

例えばシティー・ハンターの日本放送開始は1987年。北米でライセンス契約が結ばれてリリースされたのが2000年だそうです。

セイラームーンの日本放送開始は1992年。イギリスのFox Kidsで放送開始が1999年。

80年代後半〜90年代頭の製作当時には赤ちゃんだった子が、現地で放映されている時にはちょうど対象年齢だったわけです。

もちろん、今シティ・ポップを聴いているすべてのリスナーがアニメ好き、ということはないかもしれません。ただ、シティ・ポップを最初にバズらせた層がアニメをよく見ていたという可能性は高いのではないかと思います。

バズりが広がるとともに、アニメをそこまで見ていなかった音楽オタクにも、「ノスタルジックだけれども新鮮」な音楽として支持されたのではないでしょうか。

シティ・ポップとキャピタリズム

「プラスティック・ラブ最高。もう俺は80sの日本に引っ越したいんだ。この世界は生きづらい。景気もよくないし、キャピタリズムには辟易してる。」…って、イギリス人のオタク仲間がパブで熱弁を振るったことがあります。ビールジョッキ片手に。

少し飛躍した発想のようにも思いますが、シティ・ポップブームに、資本主義と日本の経済成長というコンテクストを当てはめた視点が、新鮮でした。

現代ってあまりキャピタリズムに夢を見られない時代ですよね。リーマンショックがあって、環境問題があって、広がる経済格差があって…

一方で、80年代の日本は、今の日本や、ロンドンに比べたらはるかに希望に満ちていて、経済がぐんぐん成長していった時代でしたよね。まさにキャピタリズム・万歳っていう時代。働いたら働いた分、いやそれ以上の報酬が入ってくる。金曜日はディスコへ。週末はリゾートへ。そこには都会の忙しなさが抱える一抹の哀愁も漂うけれども、それぞれが時代を謳歌している。

必ずしもそうとは限らないけれど、シティ・ポップから想像する80年代の東京は、そんなユートピアに見えます。

そして、そんな幻のユートピア・Aesthetic Tokyo の姿は、海外のオタクたちの記憶の底にも残されているのです。

ウォークマンが必須アイテムだった頃…

ゲームボーイやプレステを親にねだっていた頃…

彼らのサブカル原体験は、日本のハードウェアと共にあったと言っても過言ではありません。そんな子供の頃夢見ていた「かっこいい大人の世界」は、どこにも見当たらない。

シティ・ポップの「美学」が「懐かしい」のは、自分がその過去をリアルタイムで生きた経験があるからではありません。子供の頃に夢見ていたかっこいい大人の世界を、あのお洒落なグルーヴを通して追体験できるからなのではないでしょうか。

もちろん、シティポップの本質的な良さ=あの時代の日本の音楽家たちのずば抜けた音楽感度と探究心&スキルへのリスペクトというのは大前提。その上で、色々な時代に良質な音楽があるなかでなぜ日本のシティポップが流行ったのかを紐解くには、今の欧米の社会背景と若者のネットトレンドに目を向ける必要があるんじゃないか…と感じました。もはや音源だけにとどまらない、新しい「シティポップの世界観」ができているのです。

「雰囲気消費」に対する是非、という議論は、また別の機会にするとして…時代とともに忘れかけられていた80年代の素晴らしい音楽のタイムカプセルが、インターネットの力によって地球の裏側から掘り返されて再び脚光を浴びるというのは、とても面白い現象ですよね。願わくば、これが「ブーム」として終わるのではなく、息が長く続きますように。

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