見出し画像

自粛生活を振り返る、2月編

コロナ禍の自粛生活を振り返るシリーズ、2月編。

こんな非常事態をただ過ごしているのはもったいないなと思い書き始めました。(書き始めて3週間ほどたってしまったけれど)
どんな気持ちで毎日を過ごしていたか、覚えている限り時系列に書いてみようと思います。

2月は

・コロナに関してはさほど心配していなかったが、ニュースは見ていた

・この先どうなるのかわからないという不安が出始めた頃だった

・コーチング講座の最終講義日があって、落ち込んでいた

・自粛生活前、最後に出かけたのもこの頃だった

・息子(不登校につき)新年度、どうやって学校復帰するかの相談が始まった頃だった

・佐藤健のドラマとLINEに癒されていた

・免疫力を上げるためにママ友と20年前のジャニーズの話に花を咲かせ始めた

・月末に休校が発表された

・SHOCKの休演に心を痛めた

こんなところでしょうか。


【コロナが怖いかどうか】

日本でコロナ関連のニュースが頻繁に流れるようになったのは、1月末頃だったでしょうか。春節で中国人がたくさん日本に来るということに少なからず恐怖を覚えた記憶があります。とは言っても、その頃と言えばポケモンGOの春節イベントで赤いポケモンがいっぱい出るという期間であり、赤いギャラドスが野生に出て歓喜していた息子を思い出すくらいです。とても平和な日常でした。この頃は、マスクがまだありました。

ニュースはよく見ていました。どうなるんだろうという不安も出てきた頃だったとも思う。だけど、コロナが怖いという不安はそこまでなかったように思います。コロナにかかるという不安というより、この先どうなっちゃうんだろうという不安だった。私は自然療法の考え方が好きで多少の知識があったので、例えコロナにかかってもある程度は大丈夫だろうという気持ちがありました。

コロナにかかって死ぬかもしれない、という不安が少なかったことはとても大きかったです。私のような少しのことでとても落ち込んでしまうタイプの人間は、ストレスの数が多いとパニックに陥りやすい。死ぬかもしれないという不安は一番感じたくない不安だっただろうと思います。

それでも、不安でしたね。

先の予測ができないというのがどれだけ不安でストレスなのか、わかりました。普段の生活はだいたいの予測がつくから、平常心で生活できているんだと気付きました。

そう考えると去年息子が不登校になったときは、かなり情緒不安定でした。何がなんだかわからないで毎日を送っていましたが、それもこの先どうしたらいいのかわからないという不安が一番大きかったのかもしれない。予測がつかないとパニック状態になりますね。

【コーチング最終講義】

2月は、去年の6月から勉強していたコーチング講座の最終回がありました。実はこれがとても精神を苦しめていました。コーチングを勉強してから、何かにつけて自分を掘り下げる癖がついていて気になることがある度、今は何を感じているかと考えていました。
これでわかったことも、楽になったこともたくさんあったけど、自分を責める原因になっていたことも事実でした。掘り下げることでいろんな自分が出てきて、出てきた自分を受け入れられない自分が嫌になるというスパイラルに陥っていました。コーチ仲間はどんどん成長していってるのに、私はだめだ的な感じ。

まだ何か自分がたどり着きたい場所、答えのようなものにたどり着けていない気がして、どうしても掘り下げることをやめられない。そんな状態が2月でした。
自分を受け入れたいと思って始めたコーチングだったけど、うまく使えないと責めることにもなるようです。使い方は難しいなと思います。だからこそ慣れているプロのコーチングを受けることは必要だなと思いました。

【自粛生活前、息子と最新のお出かけ】

自粛生活に入る前、最後に出かけたのは2月半ば。渋谷まで幡野広志さんの写真展を見に行きました。

息子さん連れだったので「渋谷のポケモンセンターに行こう」と誘いました。写真展とポケモンセンターはたまたま、同じパルコの中だった。ありがたい。息子さんと一緒に見る写真展はあまり集中できなかったけど、穏やかな空気感を感じられたことはとてもよかった。

少し不安を抱えながらも出掛けた記憶があります。

幡野さんのことばは、まっすぐでグサグサくる。芯をつかれる感じがして、少し怖いときもあるけど、だからこそみんな相談するんだろうなと思った。

【息子の学校のこと】

息子は不登校なので、学校代わりに適応指導教室に通う毎日。3月あたまにはお別れ遠足が予定されていました。バスで2時間ほど、みんなで出かけるのを楽しみにしていた頃だったな。結局中止だったけど。

適応指導教室(1月に名前が変わったので、今はこの名前ではないですが)は小1~中3までがひとクラスで過ごしています。歳の差があってもみんなとても仲が良く、一番小さい息子はとてもかわいがってもらっていました。優しくお世話をしてもらったり、たまには役に立ったり、去年の6月から10か月ほど、とても楽しく過ごさせてもらいました。

同じ学年で、同じく不登校仲間の適応指導教室のお友達と毎日放課後も一緒に遊んでいました。母同士は、毎日「これからどうなるんだろうね」と話していた。マスクが手に入らない、学校はどうなるんだろう、習いごとはどうなるんだろう、新年度はどうなるんだろうなど。

不登校児にとって、新学期は負担を強いられる季節です。適応指導教室は学校の代わりではあるけど、学校と関わらずにずっと通っていい場所ではない。教育委員会が設置している学級であって、どうしても新学期は一旦学校に行ってみようと勧められる。(それで行くようになる小学生も多いんだとか)

それがとても辛いのです。せっかく自分のペースがつかめた楽しく思える場所から追い出される気分。2月くらいから新学期に向けてどうやって学校に戻っていこうかと臨床心理士の先生と相談し始めます。この頃はそんな話をしていました。とても嫌な気持ちだったな。このまま来年度もここに通っていいじゃんと思っていた。学校戻らなくていいんだけど。私は母として息子に学校に戻れとは言わないです。

そんなことを言っているうちに休校の連絡がきました。とは言え、適応指導教室は3月中教室開放してくれていたので、この頃、うちは休校気分ではなかったです。

【佐藤健と恋つづ】

コロナ騒動の初期、この不安な状況を癒してくれた日本一の功労者は佐藤健に違いない。恋つづと佐藤健からの電話で、どれだけ癒されたことか。周りのママ友にもたくさん勧めた。この時期が佐藤健に一番盛り上がっていたな。

【ジャニーズジュニア名鑑1997年】

ママ友と免疫力を上げようという話をよくしていて、まずは母からだよな、と思いついたのが23年前のジャニーズジュニア名鑑。本棚から引っ張り出し、お迎えのときに持って行って一緒に見て興奮していた。KAT-TUNもNEWSもキンプリも、まだ誰もいない、入所前。まだ横山侯隆だった時代。やっぱり好きなもので興奮するのって、一番の癒しだよね。佐藤健同様、この時期の情緒安定を手助けしてくれたことに心から感謝しています。

【SHOCKの休演】
光一くん主演のミュージカルが休演に。今回は観劇の予定はなかったけど、彼のことは身近に感じているので少し凹みました。1日休演したらいくら損害が出るんだろうと思い、計算していました。


そんな2月でした。

もうずいぶん昔なんだけれど、2月から時は止まっている気がしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?