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もう戦わない

急に気が付いたことがあったので、書いておこう。

ずっと戦うことを背負って生きていた。どんなことにも勝たなくてはという気持ちがあった。だから生きてることがつらかったようだ。戦ってどんな形であれ勝たなければ自分を守れないと思っていた。

いつからだろうと考えてみたら、ADになったときからだった。理不尽で人間らしい生活すら送れない日々の中で自分を守るために身に着けた術だった。思い起こせば、この辺りから誰かに対して声を荒らげて怒りを表現する人になった。その後も、大声で自分の地位を濫用する大きな大きな大人たちと仕事をして、戦う方法をたくさん習得した。とても強くなった気でいた。この方法が人生の勝利の法則になっていた。

今の自分(自己肯定感低めで悩んでばかりいる)のルーツは、子どもの頃の体験だとばかり思っていた。ここから抜け出したくて自分を掘り下げ続けてきたのだが、どうも最近、子どもの頃の自分と仕事を始めてからの自分とに差がある気がしてきた。

元々の性格の上に、仕事で習得した勝つための性格が乗っかっていた。自分の中の二面性に苦しんでいた理由もわかった気がした。

仕事には命がけだった。本気だった。人生をささげた。友だちもいなくなった。仕事だけあればいいと思っていた。それだけ楽しい仕事だった。やりがいもあった。だけど、こうやって後々までいらない武器をまとわせてしまうこともあるようだ。

もう戦わない。戦いたくない。

肩の荷が下りた。そもそも息子を産んでからは、もう戦う相手はいなかったのかもしれない。ひとりでずっとファイティングポーズをいたとっていたのかもしれない。ちょっとしたことに腹を立てては、自分の正当性を示したかったのはこのためか。

勝たなければならなかった。勝たなければ、生きていけなかった。勝たなければ、生きてるとは言えなかった。負けてひどい目に合うのが怖かった。だとすればそれは仕方ない。

どんなやり方だったかはさておき、自分のことを守れていたんだ。自分を守るために戦っていた。もう戦わない。戦わなくていい。もう勝たなくていいんだ。

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