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Fukushima50 とてもストレスフルな映画だが、知っておかねばいけないこと

Fukushima50

私はストレスに割と弱い個体であると自覚している。この映画を見ている間、何度席を立ちたいと思ったか。それでもこれは知っておかねばいけない事だと思う。全編を通じて、非常にショッキングでストレスフルであった。理由は言うまでもない。この映画は3.11の直後に福島で起きたヤバい出来事に立ち向かった人達の詳細な記録である。

現場で頑張った人達の勇姿は、ぜひ映画を見て貰いたいと思うが、もう一つ特筆すべきは現場で頑張る人たちの足を引っ張る当時の総理大臣のパニクり様である。演じた佐野史郎の見事な再現っぷりを堪能してもらいたい。映画内ではいくつかの対応が止められたり延期になったのはこの人のせいだと描かれている。

この映画の原作はジャーナリスト門田隆将氏の小説だ。この小説では意図的なのか、名前呼ばれている人と、役職名で呼ばれている人たちに分かれている。そして名前の付いてないグループは現場をかき回して足を引っ張るウマシカとして描写されている。主に官邸側である。さすがに実名では出せなかったのだろう。

このような書き方になったのは門田氏の政治的スタンスがそうであるからだと言う人がいるが、私はそうは思わない。門田氏による現場の職員への詳細な個別インタビューや、吉田調書等から現場で命を張ってる人たちが、役職名だけのグループに迷惑し、掻き回されたというのは紛れもない事実だろう。実際にこの時の反省を踏まえて、災害時は脱縦割り、都道府県や自治体主体にとマニュアル等が見直された。そのくらい、この時の対応が問題になったということだ。個人的には東電本店の小野寺秀樹も役職名で良かったのにと思う。

この映画を見るまでは爆発の理由も良く分かっていなかった。1,3、4号機は水素爆発。より危険だったのは2号機である。もし2号機が爆発していたならば、それは圧力容器が耐えられずに破壊を起こすという、格段に放射能をまき散らす爆発だった。分かりやすく言えば、圧力鍋の空気穴が壊れて塞がり、空気が外に逃げられなくなって鍋が圧力に耐えられなくなって爆発するようなものだ。しかも中に入っているのは豆や肉の塊ではない。大量の核燃料だ。

そんな危険な2号機がなぜ爆発しなかったのか。どこかの時点で格納容器に何らかの破損が生じ、水蒸気が漏れ出たと言われているが、決定的な原因は今も良く分かっていない。2号機に関して人が何か出来る事はなかった。諦めかけた時の圧力容器内の圧力低下。簡単に言えば奇跡とか神様が…ってやつなのかもしれない。

危機が去った後の福島を描いて、映画はラストを迎える。ラストは感傷的になりすぎる邦画の悪いクセがでた。佐藤浩市はいい役者だけど、顔のどアップとモノローグは要らなかった。邦画のこういう所なんとかならんか。無理やり感動させようとしなくても、人はそれぞれに何かを感じると思うんだけどね。

私は特に原発とか核の反対派ではない。経験を得て研究を重ねれば、もしかしたら放射能を無力化する物質や、より安全に核をコントロール出来る方法が見つかる可能性もないとは言えない。それでも今この時点で、暴走した核を制御する事は、人間の多大な犠牲を必要とし、そうしても尚、神頼みするしかないような状況に陥った福島の事を、決して過去の事にしてはいけないと思う。映画内でも言っていたが、福島の事故は自然災害などではなく、自然を舐めた人間が起こした人災なのである。

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