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この時代を生きること

「この時代を生きること」というテーマをいただき書いた記事を、少し編集してnoteに転載しました。


この時代を生きる

「この時代を生きること、自分の中にその答えがあるんだろうか」
テーマをいただいた時に、まず初めに浮かんだ言葉でした。
時代の変化を感じるようになったのはここ数年で、それまでの私は、便利になって良かったくらいの軽い感覚で生きていました。いつの時代に生きていても世の中は勝手に流れていくもので、自分も同じように変化し、人もまた同じように成長していくものだと思っていたからです。
でも、今回「今」という点で時代を見た時、人の成長は時代の便利さとは逆の方向に向かっているように感じていることに気がついたのです。

考えなくても簡単に手に入る時代

今の時代、情報という情報、全てが指一本で手に入ります。
ちょっとどこかに出かけたければ、調べれば誰かがブログやSNSで発信しています。
見逃したドラマは後からでも配信で好きなタイミングで簡単に見ることができる。
家族や会社で困ったことがあれば、どうしたら解決できるかを多くのコンサルやカウンセラーを名乗るプロや起業家が分かりやすい言葉で発信しています。
頭に浮かんだ疑問は、Google先生が全て解決してくれる、これ以上必要なものがあるんだろうかとさえ思えてきます。それでも人は足りないことを見つけては、これでもかと新しい発見と進化を遂げていきます。
きっと車を自分で運転することも近い将来なくなるでしょう、食べなくても味覚を体感できるというニュースも見ました。
私はここに一抹の不安を感じるようになっていました。

何も考えなくなっていくのではないかという不安

発見や進化の一端を担っている人以外は、自分で考えることをやめていくのではないでしょうか。そして最後には、自分が何をしたいのかさえも自分で決めることなく、考えることさえもできない人が増えていくようにも感じています。いえ、実際にすでに増えているのかもしれません。
わたしはコーチという職業柄、クライアントは当然ながら、これから出会うクライアントがどんなことに悩み、何を必要としているかに常にアンテナを立てています。
アンテナを立てていると、webの世界にはやりたいことが分からない人が駆け込めるような「自分探し」や「自分らしさ」のセミナーが目につき、とても多いことに気がつきます。
もちろん、自分を見つけることができて前に進むことができる人もいます。わたし自身もクライアントとのセッションで、その人だからこその強みをしっかりと言語化して自己理解を深めることもしていますし、そのことで力強く進んでいかれるクライアントを何人も見ています。
でも、簡単に参加できてしまうことで、これじゃない、これでもないと望む答えをくれる相手を探し彷徨い続ける、いわゆるセミナージプシーと呼ばれるような方が一定数存在します。
セミナージプシーになる人とならない人の違いは、「自分で選択して、自分で決め、行動しているかどうか」だと思っています。
それを作り出しているのも、今の時代の特徴のように感じています。

自分の体験すらも受け身になった先にはなにがあるのか

今では、自分の体験すらも人任せになっているようにも感じます。
どこかに行きたいと思えば、効率が良いルートはどれか、どこで食事をすれば美味しいものにありつけるのか、そこにはどんな景色があって、どんな体験ができるのか、指一本、スマホの世界から情報を手に入れます。体験を先取り想像し、その中から良いと思ったものに絞って出かけていきます。
自分の感動を探しに出かけるというよりも、あらかじめ決まったものからの感動を手にしに出かけるのです。
それでも、何かに心を動かされたいと思い行動しているうちはいいのかもしれません。
何も考えなくても、ただ「時間を潰す」ことさえ、文字を入力すれば、何をすればいいか教えてもらえてしまう。全てに置いて受け身になってしまった時、人は内発的な心の動きを人は感じられるのだろうか、不安さえ感じるのです。

便利さの中に潜む依存

実際、自分の幼少期の頃に比べると、子供達が工夫して遊ぶ様は見られないようにも感じています。親でもあるわたしも原因の一つであり、ここに怖さを感じてしまいました。時代の便利さに喜んでいるだけでは、「良いもの」という側面だけを見て、知らず知らずにその便利さに依存し、本質的な問題を見えなくしてしまう可能性があるからです。
自分で考える楽しさ、自分で発見する喜びも、自分のためではなく「誰かに見せる承認欲求」の温床であるSNSでは、承認を得ることと代理体験の双方がマッチしているまさに無意識に成立している依存の世界なのではないでしょうか。

本当の意味での豊かさを考える

物質的には豊かになっていても、精神的には退化していく矛盾。
簡単に答えも方法も手に入れることができるけれども、いじめや自殺、戦争などがなくなることはないように、心は全く豊かにはなっていないのかもしれません。物質だけ豊かになっても、自分という存在を成長させていかないことには、何も変わらないし、見せかけの豊かさに惑わされ、本質が見えなくなっていく怖さがあるのです。

「いってきます」「気をつけていっておいでよ」と家族を見送ることに幸せを感じる。誰かの言葉に心動かされ、大切なひとの言葉で今日も頑張る。夜、隣で眠る息子の寝顔と寝息に、今日も一日元気に過ごしてくれていたことに感謝する。毎日毎日飽きることなく、日々温かい想いが何年も何十年も続いています。1日1日を、今自分の周りにある幸せに目を向けた時、時代の流れや便利さは関係ないことに気がつくのです。
原点に立ち戻り、自分の「在る」に意識を向け、なにものにも変えられない自分の五感を信じる。そこから突き動かされる想いや信念が形になってきたからこそ、常に原点を忘れてはいけないのかもしれません。
進化も便利さも必要なく、ただ自分という存在を大切に扱い、心で生きるということ。心から溢れる素直な想いと言葉で生きていけたなら、世の中はもっと優しい世界へと変化すると思います。この時代に何か足りないとすれば、私は素直に生きる、素直に感じるということだとさえ感じています。

自分の好きなことはなんだろう。
自分の心が動かされるのはどんな瞬間なんだろう。
誰といてどんな感情でいることが、自分も相手の心も豊かにしているんだろう。

便利さが加速し、人間から思考を奪うことが増えていく時代だからこそ、人は感じることをやめてはいけないと思います。自分で自分を満たすことが土台にあることで本当の意味での豊かさと人間として生きていくことを手に入れることができるのではないかと、私はそう感じています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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