「学校に行かない」ことを決めた日々の始まり

娘の不登校で娘が感じていること、私が感じていることを書き残そうと思いながら、

娘の心と向き合い、私の心と向き合っていると、どんどんいろんなものが湧き出てきて

何から書いていいかわからず時間が過ぎていました。


きれいにまとめられるのを待っていたら、いつまでたっても書けそうにないので、

カケラずつ出していこうと思います。


新しい居場所

2学期いっぱいは休もうと決めて、家で好きなことをして過ごしている娘ですが、

先週から学校と連携している適応指導教室(このネーミングはあまり好きじゃありませんが。。)に通いはじめました。

画像1

適応指導教室は、自然がいっぱいでとても気持ちのいい場所にあります。


ものづくりや絵を描くことが大好きな娘は、家でもかなりの時間を絵を描いて過ごしているのですが、

ここでも、どんぐりやイチョウの葉っぱを拾って、ものづくりをしているようで、

自分のペースで過ごせるここが、娘の新しい居場所になってくれるといいなと思います。


好きなことはとことん。

学校を休むようになって、めいっぱい好きなことをさせようと思って、

まずスケッチブックを買いました。


今、娘がどハマりしている「鬼滅の刃」のキャラクターの絵。

画像2

絵が全く描けない私からしたら、ただただ尊敬です。

「好き」のパワーって、すごいなぁと思うと同時に、好きなことに集中している姿は、生命力を感じて嬉しくなります。


休むことを決めた時

不器用なまでに真面目な娘が、学校に行きたくないと泣いて、休む日の方が多くなり、そのうちに教室が怖くて入れなくなりました。

それでも保健室なら通えたので、1週間ほどは保健室登校していましたが、

しばらくすると、保健室でやっていたプリントもやる気にならないと取り組まなくなり、絵を描いたりパズルをしたりして過ごしていました。


生命力が弱ってきてる感じがしたので、休みたかったら休んでいいよ、と言っていましたが、

それでも先生が誘いに来てくれると、がんばって保健室に通っていました。


そしてある夜。

「私がいなくなったら悲しむ人がいるのが分かってるから、今いなくなりたいとは言わないけど、

私が最初からいなければ、

担任の先生は私の事で色々工夫したりしなくて良かったし、保健室の先生は私に手を取られて仕事が中断することもなかったし、

母ちゃんだって学校行けない私のことを色々面倒みなくてもよかった。

みんなに迷惑かけることしかできない私は、最初からいなければよかった。

最初からいなくて私の存在を知らなければ、母ちゃんだって悲しくないやろ?」

と大泣きしたのです。


これはある意味、「いなくなりたい」と言われるよりキツかったです。

「休んでいいよ」だけでは休めなかったんだと、やっと気づきました。


「もう明日から行かなくていいよ。母ちゃんとずっと一緒にいよう」と言うと、また大泣きをして、そのまま寝てしまいました。


これが、娘と私の「学校に行かない」ことを選んだ日々の始まりでした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?