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「にんぎょひめ」からの〜子どもと観劇のあいだ・ファッションと劇場のあいだ〜

 年度のはじまりに大学の講義で「新一年生」と出会うことがある。なぜ絵やデザインを志すことになったのか、それぞれに理由があるんだと思うが、その理由の「偏り」に意識的になることはとても大事だから、大学生活をかけてそこを見つめて、言語化したり視覚化したりして、解像度を高めたり他者と議論したらいい、という話をしている。それが、個性や一生大切にする核になるからだし、自分の偏見や限界を知ることでもあるし、自分の立っている地盤を確認する作業になるから。別に新奇性や特異性はなくてもいい、自分の偏りを武器に、マイ・モノサシを手にすることが大事とおもっている。

 先日、大学でキャリアコンサルをしているママ友から「やりたいことの抽象度を高めるのは大事だというようにしてる」という話をきいた。職種や技能の具体ばかりおいかけていると、言葉が上滑りして本人のモチベーションと手段の関連がわからず説得力のある言葉が出てこないのだとか。そうだそれだそれそれ、ファッションも舞台も子どもも、ぜんぶわたしのなかでは繋がっているが、業務を軸にした言語で話していると結びつかない。それを繋ぎ止めるコダワリはとある原体験からスタートしている。

劇団そだち という偏り

 弊実家では父親が、立ち上げ当初の劇団四季で舞台装置や宣伝美術などのデザインをやっていた。四季が今のようなミュージカル超大作を全国でロングランするような大企業になる前夜で、武田泰淳の「ひかりごけ」だとか、ピーター・シェーファーの「エクウス」なんかをじっくりとやっていた時代で、初台の小さな稽古場で正月の餅つきなんかもやってた。

たまたま物置でみつけた劇団四季の昔の会報誌「ラアルプ」

 自分が物心ついた頃には、父は末期癌で闘病しながら仕事しており、本人もだけど、周りが大変だったろうが、未就学児の私にはそういった事情は全然わからず、あれこれと面倒みてくださる劇団のみなさんとの日常を楽しく過ごしていた。夜な夜な父のお仲間の麻雀を膝上より見学したり、デザイン事務所でお絵描きしたり、稽古場で役者さんたちの発声練習をながめるときもあれば、俳優のおにいちゃんが映画館に連れてってくれることもあった。
 状況が状況なので、それなりに緊迫感や悲壮感もあったのだろうが、私にとって父の死の前後は、劇団の人たちとの豊かな日々に彩られている。
 こうした体験はおそらく2年にも満たない時間のことだが、後の人生にわたって、そのときの記憶は、常にわたしを勇気づけてくれてきた。いろいろあるけどなんかきっとだいじょうぶ!的に。

日生劇場(村野藤吾建築)の魔力

 ーで、その頃、顔馴染みであった役者さんの中で、れっちゃん、というとても長い髪のお姉さんが、憧れだった。そのせいで「れ」という文字が今でも好きになってしまっているくらいだが、ある日、親に連れられて、そのれっちゃん主演のニッセイ子どもミュージカル「人魚姫」を日比谷の日生劇場へ観に行った。
 行ったことがある人ならばご同意いただけるかもしれないが、かの建物は日本・近現代が誇る、劇場of the劇場だ。真鍮の手すり、入り口の床にモノトーンのタイルが描き出す幾何学模様、完璧すぎる螺旋階段、真紅のカーペット、場内は独特のブルーグレーの壁面と天井が有機的に波打ち、そこにフジツボのようなものがびっしりと一面の水玉模様を作り出し、観客席ももちろん真紅である。鼻血出るくらい素敵である。

日生劇場の客席案内用の表示。色も文字も美しい。基本的に場内はあんまり写真撮ってはいけないので、これ以外写真をもってません。

 最近行くと、什器などが一部入れ替わったり、美脚の灰皿が消失していたり、修繕が加えられている箇所もあって、少しづつその魔力が減退しているのが残念なのだが、それでも、まだすごいので、もし行ったことがない方はぜひなのであるが、私が劇場の魔力に取り憑かれたのは、あの建築のせいで(おかげで)あるとさえ言える。
 ちなみにのちに調べたらあの幾千万のフジツボもどきたちは本当に貝殻でできていると知り驚愕した。(人魚姫を観るための劇場じゃないかまるで!) ついでにいま検索して発見したのだが、「最初から子ども向けの劇場として設計された」という事実もあるらしい。(原体験となる要素が揃いすぎていた感)
https://wired.jp/series/the-superfluous-city/06_nissaytheatre/

カーテンコール、それは物語が現実に染み出す、あるいは物語が現実に侵食される、トワイライトゾーン

 それで「人魚姫」の舞台上の本編は覚えてないのだが(スミマセン)、わたしが忘れられないのはカーテンコールだ。
 客電が上がり、アゲ目の音楽とともに、舞台から出演者が降りて観客席の間の通路をこちらへ歩いてくる。「物語」の時間が終わり、「現実」の時間への糊しろタイムだ。それまで、登場人物の人生を生きていた人物の内側から、それを演じていた生身の人間の表情が現れ、演者の表情が変わってゆく。5歳児のわたしは、村野藤吾建築による貝殻たちに包まれ、人魚の衣装やヘアメイクの美しさに目を奪われながら、近づいてきた姫が、親しげに私に手をふるのをみて当惑した。目の前にいるのは、人魚姫なのか?れっちゃんなのか?どっちでもないのか?
 かくして、物語と実人生の間に存在してしまう身体に魅了され、この幻惑体験を引き起こす劇場という場にとりつかれた人生がはじまったのでした。
そして、身体が物語と出会う場としての劇場に執着するようになり、結果、仕事としては「ファッション」や「パフォーミングアーツ」という形で選択していくことになりました。

子どもと観劇体験をつなぐ、魅力的な道のりづくりをしたいというきもち

 なんで今この話?というと、、、冒頭に書いた年度頭で、原体験や仕事の抽象化大事だねーということもあるが、先日セゾン文化財団が発行している業界紙の最新号「viewpoint」で託児と観劇にまつわる原稿を書いたからである。

こちら「viewpoint」の紙版です。「あったらいいな!ワクワクするような劇場の託児サービス」

PDFはこちら

 「viewpoint」での原稿は「劇場と託児」の伸び代や可能性、そこを豊かにすることの重要性について考えるような内容なんですが、その思考の起点となったのは、この幼少期の偏りでありました。自分にしては長めの原稿を久々に頑張って書いたので、ぜひお読みいただけたら嬉しいです。

 で、紙幅の都合上、というか、テーマとの関連性と必然性のバランスで、自分の体験については詳しくは本校には書けなかったので、スピンオフ備忘録として、ここに書いておくことにしたという次第です。

 もっと軽やかにnoteは書きたいと思うのだけど、なんか重めになってしまうのだが気をつけたい。アディオス〜。

※ さいごに追記ですが、ページのメイン画像に設定した「にんぎょひめ」の画像は、わたしが幼少期に読んで釘付けにされた一冊。絵本「にんぎょひめ 」(昭和28年トッパン発行/人形と装置制作:川本喜八郎、デザインと挿絵:土方重巳)ていうか、いまだに大切にもってますが随分古い絵本だったといまきづく。母のかな?



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