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苺の効力|連載「記憶を食む」第9回|僕のマリ

思い出すことのかたわらにはいつも、食べものがあった。
大切な記憶も、ちょっとした記憶も、食むように紡いでいく。気鋭の文筆家・僕のマリによるはじめての食エッセイ連載。
第9回は、著者の食べ物へ向かう強く、ときにかわいらしい執着を、苺のパワーとともに思い出すお話。

 わけあって自分の子どもの頃の写真を見ていたら、フグのようにプクプクとしていた。針でぷすっと刺したら萎んでしまいそうなくらい、肉付きのよい子どもがそこには写っていた。そして何より、どの写真もすごく楽しそうで、天真爛漫であった様子がありありと伝わってきた。天真爛漫といえば聞こえがいいが、わたしは良くも悪くも素直な性格であった。散歩をすれば道に咲いている花に「寒いね!」と話しかけ、グラマーな女性を見たときには「大きいおっぱいだね!」と言っちゃっていたらしい。昔は自分のそういう話を聞いて普通に笑っていたけれど、三十歳も過ぎると当時の親の気持ちになって胃がキリキリしてくる。

 わたしが三才くらいのとき、母が少し目を離したすきにいなくなったそうだ。どこに行ったのかと辺りを見渡すと、おばさんが大きな犬にソフトクリームをあげている横で、わたしが口をあ~んと大きく開けて順番待ちをしていたらしい。ソフトクリームはわたしの大好物であった。慌てて母がわたしを回収しに行くと、「ごめんね~!これワンちゃんに舐めさせちゃったけん、あげられんのよ……」と逆に謝られたそうで、それはもう恥ずかしかったという。もちろん記憶なんてないけれど、自分でも「やりそうだな……」と思うエピソードだった。赤ちゃんの頃、スーパーのカートに入れていた会計前のヨーグルトの蓋を指で破ってベロベロ舐めていたこともあったし、とにかく食い意地が張った子どもだった。食いしん坊なうえに行動的でもあったので、とにかく目が離せない。あるとき、こういう話をひとしきりしたあと母は、「あんたっていつもそう。気持ちのままに生きてる」と言い放った。

 夫と結婚する前、のんびりしようと二人で羽田空港に赴いた。近くの喫茶店でランチして、昼過ぎに羽田空港の展望デッキで飛行機の往来を眺めた。よく晴れた秋の日だったので気持ちよく、おしゃべりしながらまったりと過ごしていた。だが、見ないふりをしていた不調が、いよいよ差し迫ってきてもいた。吐きそうなのだ。喫茶店でオムライスを食べていたときから、なんとなく胃の容量が普段より狭いと感じていた。珍しく完食できず、彼に残りを食べてもらっていた。しかし、次第に「なんだか調子が悪い」から「かなり吐きそう」という感覚に変わっており、わたしはお手洗いに行って全部戻してしまった。若干潔癖症のわたしは、空港のトイレが綺麗だったので安心して吐けた。水を買ってきてもらい、飲みながらベンチで休んでいるとだいぶ回復した。季節の変わり目で風邪を引いたのかもしれない。経験上、気持ち悪いときは吐ききってしまえば大丈夫になる。休憩後はまたお土産屋を見たり、「ずんだシェイク」を飲んだり、羽田空港をエンジョイした。

 その日はそのまま彼の家に泊まる予定だったので、一緒に電車に乗った。だが、夕方のやや混んでいる車内で、また気持ち悪さがぶり返すのを感じてきた。人の多さもあいまって、どんどん顔が青ざめてくる。彼は「駅のトイレに行けば」と言うが、駅のトイレで吐ける自信がない。

 吐き気に耐えながら、乗り換えるために降りた品川駅の構内で、少し人混みができているのに気づいた。ハッと顔を上げると「京都物産店」が開催されている。わたしは彼に「ちょっと待ってて……」と言いながらよろよろと物産展の列に並び、生八つ橋を二つ買った。なんとか家までたどり着き、その瞬間にトイレで吐いた。三十分くらい苦しみ、ようやく吐き気が落ち着いてぼんやりしていると、彼が「こんなに体調悪いのに生八つ橋買って、すごいじゃん。しかもプレーンと抹茶一個ずつ買ってんだね」と笑っていた。「吐き気でふらふらなのに、食べ物のことを考えられるなんてすごい!」と、褒めてるのか何なのかわからない言葉をかけられ、その後何年も生八ツ橋を見るたびにこのエピソードを掘り返される。
 しかし、生八ツ橋以上に忘れられない話がある。
 これも結婚前の話だが、夫と喫茶店に行って、彼は苺のショートケーキ、わたしは小さいパフェを注文した。外食すればだいたい違うものを頼んで一口ずつ交換するのが我々の定例だが、その日彼は自分のケーキのてっぺんにあった苺をまるっとくれた。「ええっ!いいの!?」と聞くと「いいよいいよ」と言うので、じゃあ……と遠慮なく食べた。何気ない一コマだったが、わたしにはかなり衝撃的な出来事だった。わたしだったら、さすがに苺はあげられない。やりすぎだと思う。どんなに機嫌がよくても、仮に自分の子ども相手だったとしても、それだけは無理だ。苺のショートケーキでいえば、お尻のあたりのクリームたっぷりの部分すらあげられないかもしれない。苺をあげるなんて断腸の思いだろう。その日帰ったあともずっと苺のことを考えて、「すごいなあ……」とひとりごちていた。

 それ以降、折に触れてこの苺のことを思い出した。一緒にいる時間が増えていけば、喧嘩をしたり、それなりにイラッとしたりすることもあったけれど、「でもケーキの上の苺をくれたんだ……」と思うと、怒りがスーッと引いた。彼にとってはたかだか数百円のショートケーキの苺が、その後何年も力を放ち続けていたのだ。おしゃれなレストランで出版祝いをしてくれたことや、アクセサリーや花束をくれたこともあったが、わたしのなかで際立って印象が強かったのはショートケーキの苺であった。毎年二月頃になるとスーパーや八百屋の店先で甘い香りを漂わせる苺、つやつやと光る美しい粒。子どもの頃、父方の祖父母がよく送ってくれた福岡のあまおう。白桃やマスカット、柿も大好きだが、苺は物心ついたときから大好きなフルーツだった。以前夫と好きなフルーツを発表しあったときも、お互い上位にランクインしていたはずだった。  

 好物をくれるなんていい奴だな……と思いながら結婚して何年か経ち、ある日「そういえばあのとき苺くれたよね~」と話題を振った。夫もそれなりに記憶力がいいので、「ああ、あの店でお茶したとき?」とよく覚えていた。するとやや間をおいて言いにくそうに、「苺は……だって、見てたから」と言った。わたしはあのとき、自分のパフェを食べながら、夫の苺を欲しそうに凝視していたのだそうだ。わたしは全くそんなつもりなどなかった。もしそうだったら覚えているはずなので、完全に無意識で凝視していたに違いない。えっそうだったんだ……とショックを受けた後、「そんなのけだものじゃねえか」と二人で大笑いした。

僕のマリ
1992年福岡県生まれ。著書に『常識のない喫茶店』『書きたい生活』(ともに柏書房)『いかれた慕情』(百万年書房)など。自費出版の日記集も作っている。

次回は5月24日頃の更新です。
隔週金曜日に更新予定です。

過去記事は以下のマガジンにまとめています。


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