2020年、私が選ぶ今年の漢字は
「私的な」2020年の漢字として「未」を選びました。「終わらせる」ことが全然できなかった今年、まだまだこれから、の決意を込めて。
・・ぐずぐずしていたら、日本時間で新年が明けてしまいました。
居住地ではまだですが「あけましておめでとうございます。」
「昨年のご縁に心よりお礼申し上げます。」
ボディワーカーの小笠原和葉さんのオンラインセミナーを受講した。学んだことから「自分ごと」に落とし込んだ解釈は「未完了を完了させていこう!」だった。
講座のざっくりとしたまとめ:
「危機的状況」に出会った際、「逃走闘争反応」が起きる(これは動物も同じ)のだけれど、
現代人は「逃げることも闘うこともできないタイプのストレス」に出会うことが多い。その「未完了」の痕跡は神経系に残る。
※一般に「トラウマ」と呼ばれているものは実はストレス。戦争・災害や性犯罪などのような誰が見てもトラウマ、と思われる重大なものばかりではなく、ありふれた小さなものも含まれる。
朗報:直近のストレスや大昔に受けたストレスの影響を「自己調整」して前に進む力を私たちは備えている。自分に合った「ストレス解消法」を選んで取り入れていくのがおすすめ (睡眠、余暇活動など)
※ストレス解消法には不健康だったり避けた方がいいものもあるので賢く選ぼう。(例:ギャンブル、タバコ・お酒はじめ依存性のある嗜好品、など)
講座を受講しながら思ったこと:
好きなことを好きなように書きたいと思って始めたnoteだけれど、「文章のセンスが抜群な人、素晴らしい人間性がにじみ出る人、たくさん居過ぎて、だんだん発言するモチベーションが下がってくる」時期にまともにぶち当たった今年。(2020年の更新記事:36。2019年は100記事以上あったかと・・)
だけど、やっぱり、苦しみながらもちゃんと「形にする」活動を少しずつ続けていかないと、「未完了」をため込んでしまうのだなぁ、と改めて思った。
文章の巧さ・完成度とは全く別次元で「自分のため。セラピーを兼ねた言語化」「自分の物語を編み続けること。再編成したり、別の読み方に気づいたり、全く新しい物語に昇華したりすること」は一生続くのだろうと思う。人に見せることや賞賛されることが目的ではない。
ところで「自分のための言語化」は紙とペンさえあればよくて、わざわざネットで公開する必然性はない。
・・にもかかわらず、ここで書いていきたい気持ちや、公開された他人の物語を読んで強く動かされる自分も、まぎれもなく存在している。
このへんの「あわい」「せめぎ合い」は、一種の「ネガティブ・ケイパビリティ」を発揮するしかないのかもしれない。「紙で書けばいいじゃん」と割り切りたい自分と、ネットで公開することに未練を感じている自分。ズバリ「好かれたい」のならばもっと「練る・整理する・ぐちゃぐちゃしたところは出さない」と割り切るべきだと思う自分と、「作りこまれた発信もなんだかなぁ」と思ってしまう自分とが入り混じって自分でもカオスなんだけど、
「混沌やむなし。それこそがリアル」と受け入れること、過剰に単純化しようとしないこと、が答えなのかも。
「ささいな笹」さんの記事にバッチリな表現があった。
「毛玉を吐き出すような」
まさにそれ。毛づくろいを欠かさない猫ちゃんが、飲み込んでしまった自分の毛を定期的に吐き出す習性。飼い主としては、カーペットの上でやられて掃除大変だったりもするのだけれど・・
過去の思いを吐き出す行為には「生理現象として必要」な感覚があり、終わった後はスッキリする。吐き出された「ブツ」は取扱注意※。そんなものをわざわざ読みたいのは「モノ好き」だけ?けどnoteで出会える「毛玉」に心動かされ、深いところで癒されたりするので、読むのはやめられません!「正直、やみつきです」
※ささいな笹さんの毛玉は、見事な作品に昇華されてて、私の「独白 (毒吐く?)」なんかとは次元が違うのですけどね。
人前で盛大に毛玉を吐くのはお行儀が良いことではないかもしれない。実名・顔出し・「職場・学校・義理・地縁・血縁」関係者がたくさん目にするFacebookのような場所やリアルの知り合い相手では不適切かもしれないものを、(私の場合noteでは) 匿名で書いていて、「イヤなら読まないで全く構わない」という関係性だから、まぁOKかもしれないと思っている。読んで下さったアナタには心からお礼申し上げます。
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ここまで盛大に前置きしたうえで、私にとっての2020年は「結局、巧く書けませんでした」の年だった。疫病をきっかけに、海外在住を解いて日本に帰った人も多くいるし、私も漏れなく「不安から来るホームシック」のような症状が出た (まだ終わってない)。「イギリスに住んでるバタコ」という枕詞を自他ともに認めつつまとってきた自分が、のんきに日常をつぶやくことに違和感が強まった。100%自分の意志で「好きで」海外に移り住んだ。だけど、ここに来て里心もわいてきた。そんな自分の立ち位置と和解できず、どこか「上滑り」して、ピンとくるものが書けない。
だけど、やっぱり、書きたい。自分を保つためにも、焦らずに、ぼちぼちと書いていきたい。まだまだこれからだ、という気持ちを込めて「未」。「未」を少しずつ「完」「了」に変えていくタスクを「あきらめてません」との決意を込めて、2020年の漢字は「未」でした。
最後まで読んでいただいてありがとうございます!