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楽しかった!最高の時間。<オンラインイベント「写真を読む」ワークショップ>

フォトグラファー伊藤理沙さんの「写真を読む」ワークショップに参加しました。


色んな方の写真を拝見し、自分の写真についての感想も言って頂ける中で思ったこと
■私は写真を「デザインする」ことを考えがち
(そう考えると、文章も、下手なくせにずいぶん「構えて」書くタイプ)
■写真は、こだわりポイントや表現したい世界があるので「もっと違った絵が撮れるようになりたい」とは今のところ思っていない。このまま突き詰めたい。
■文章については「構えて」「自分の見え方。見せ方を工夫して」書くのをやめたい。昔、人に言われた「印象操作してるようにも見える」
・・確かに、隠しがち。隠れがち。


だけど。
隠してもにじみ出てくるものがあるんだなと、今回、皆さんの写真を見て思った。
写真を見るだけでその方の情報がダダ漏れになる。
■感動してシャッターを切ったポイント
■つまり、何に「惹かれる」「感動する」ヒトなのかが分かる
■普段触れているものが写真にも出やすい
 「ナショナルジオグラフィック」の報道写真の世界に慣れているとそういう写真を撮る人になったり、普段メルヘンや手描きの童話挿画の世界に触れていると撮る写真もそんな風に。

文章においても「隠そう」とするのはやめようと思った。
というか、多分、既に漏れている。

理沙さんがおっしゃったこと

出かけた旅先で撮った写真には、旅行特有の「高揚感」みたいなものが「出る」。(平常心で、本来の撮影者の個性を反映した写真が撮りにくい。例えばNYに初めて行った人はとりあえず自由の女神を撮っちゃうけど、それって「撮らされている」)

だから心掛けているのは、写真を撮る旅行に行くときは
■できれば2~3泊
■地元のものを食べて、地元の人と会話する
そうやってその土地に身体と感性を慣らしたうえで、撮影する

・・すごいプロ意識、自分と写真との関係を知り尽くしている。
このお写真はそうやって撮ったのかしらね~と思い起こしていた。


それを聞きながらバタコ思ったこと
「書かされてる」文章も、あるよなぁ。
例えば、今私がこうやって書いてるイベントレポートだけど「有名なイベントだったらハッシュタグで拾ってもらえるかもという野心・下心」も出やすい。そもそも、善意の人であればあるほど「楽しかったです良かったです是非あなたもどうぞ」と (安易な?) レポートを書きがち。どこかキュレーションされちゃったような。
記事のタイトルを付けるとき「読んでもらえそうな」「何なら『釣り』タイトル」を付けてしまう自分も明らかに居る。
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そして、見る目があるヒトからは、多分その下心は嗅ぎ取られてしまう・・


そこでどうするかは個人の選択だと思う。そうやって生まれた文章がすべて悪いとも思わない。例えば、お悔みや祝電の「定型文」はとても便利だと思う。仕事で必要だったこともあるが、私はなるべくそこに心が乗るように祈りを込めつつ使わせていただいた。
けど、バタコ個人としては、「書かされてるのではない」「平常心で、自分の芯に逆らわない」文章を書きたい。それができる人でありたい、なりたい。


醜くても自分の心を見つめ、更には「最善最上の自分」へと向かう努力をやめない人でありたい。その第一歩は「心の声をちゃんと拾える」こと。偽らないこと。









参加できて良かったです。学びが深い!

・・・実は、途中で一回泣いてしまった。次回はそのことを書きます。

<リンク>
心を割って話せる参加者さんが集うイベント、人と人との交流をデザインする嶋津さんのサークルはこちら。あるいはマガジンを購読することで、CafeBarDonnaと呼ばれるイベントに参加できます。

伊藤理沙さんのサイトはコチラ。何なら直接会って写真を撮ってもらうこともできますよ!

本家本元のイベントレポートはコチラ

バタコが「イベントのための課題写真を選んで思ったこと」はコチラ


最後まで読んでいただいてありがとうございます!