今日のアウトテイク#147(土曜無料版)「カフェではなく喫茶店のように」ほか【メンバーシップ特典】(2024-04-13)
<アウトテイク>
・SNSに投稿する前の推敲(もしくは配慮)なしのメモ、殴り書き
・ブログ記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・コワーキング関連のネタが多め
・要するに「伊藤の現在地点」
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今日は軽めに一本勝負で。
#今日のBGM
#今日のコトバ
#カフェではなく喫茶店のように
Drew Jones氏が、面白いが、あ、そうそうと思い当たる論考を書いている。例によって、DeepLで翻訳して読んでみて。
パンデミック後、多くの企業が従業員に「オフィスにもどれ」と言い出していることはご承知の通りだが、抵抗も多いのも確か。安易なRTO(リターン・トゥ・オフィス)がZ世代の反感を買っていることはここに書いた。
で、Jones氏はこの記事でこう締めくくっているのだが
その実験と学習に、コーヒーショップ=喫茶店の要素を取り入れたらどうかと説く。そう、静かでおしゃれなカフェではなく、ざわついた喫茶店。(ここでは喫茶店と書く)
もちろん、誰でも喫茶店で仕事ができるかというと、そうではない。しかし、こう言う。
「Co」=共同でワークスペースを使って仕事するという意味ではオフィスもコーヒーショップも、そしてコワーキングも同じだ。
しかし、喫茶店には(そしてコワーキングには)、彼の言うように「体験の質を変える」効果があり、その科学的根拠も明らかになっいる。
例えば、確かに喫茶店にはノイズも多いが、かえってそのノイズが微妙に影響してくる。いわゆる、「ホワイトノイズ」。
ちょっと検索してみたら、ChatGPTがこう答えてくれた。
集中するのか、居眠りするのかは、状況次第だろうが、個である人が三々五々集まってきて、各々が予定されていない行動をすることで音が混じり合う。
そう、不思議と集中できたりする。こういう音は意図的には作れない。その瞬間だけに発せられるものだ。この偶発性が、人間のオツムに創造性をもたらせる信号を送るのだろう。
それにこのノイズがあるから、「ほんなら自分もここにいていいよな」と思える。これがシーーーーーーーーーーーーーーーーーンとしてたら、気を使ってそうはいかない。なんとなくアウェイを感じて居心地が悪い。ノイズはそのアウェイ感を和らげてくれる。←ここ大事。
そしてその「ホワイトノイズ」は、コワーキングにも付き物だ。むしろ、シーンとしているほうが居心地悪い。誰もがカツドウしていることを示す「ホワイトノイズ」は、それこそ自身の脳をも刺激する。同時に話しかけて仲間になる切っ掛けを作る。それがないコワーキングはコワーキングではない。
そういえば以前、東京のどこかのコワーキングの壁に「私語厳禁」と張り紙がしてあった、という話を聞いて驚いてしまったが、コワーキングをただのハコとしか考えず、コワーキングの本質的価値を理解していない証拠に相違ない。
ところで、「豪華で大げさなアメニティが社員をオフィスに呼び戻すのに十分であるという考え方は空想にすぎません」と彼は書いてるが、言い換えると、企業の考えるようには人はカンタンには動かないということ。
途中、ハコに違和感を感じた興味深いエピソードが挟まれている。
喫茶店がいかにイケてるかを示すものとして、彼は先の「ホワイトノイズ」以外に、「風景の変化」「視点を変える創造性」そして「ソーシャル・ファシリテーション」を挙げている。
確かに、周りがみんな頑張ってると、「自分もやらなアカンな」と思うものだ。不思議なことに。
それはつまり、人間が社会的動物であること、そして誰かいてくれないと生きていけないということの証左だということ。
だから、「Co」=共同、一緒に、なのだ。
生きていくために、コワーキングしましょう。
ということで、今日はこのへんで。
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