今日のアウトテイク#147(土曜無料版)「カフェではなく喫茶店のように」ほか【メンバーシップ特典】(2024-04-13)

<アウトテイク>
・SNSに投稿する前の推敲(もしくは配慮)なしのメモ、殴り書き
・ブログ記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・コワーキング関連のネタが多め
・要するに「伊藤の現在地点」

※noteメンバーシップ「Beyond the Coworking 〜移働の時代〜」に参加いただくと有料記事も全文読めます。初月度無料です。

今日は軽めに一本勝負で。


#今日のBGM

#今日のコトバ

"誰もあなたの敵ではない。
あなたを苛立たせる人は、忍耐と冷静さを教えてくれる。
あなたを見捨てた人は、あなたに自分の足で立ち上がる方法を教えてくれる。
あなたを怒らせた人は、あなたに許しと思いやりを教えてくれる。
あなたが憎んでいるものは、あなたに無条件の愛を教えている。
あなたが恐れるものは、恐怖を克服する勇気を教えてくれる。
あなたがコントロールできないものは、手放すことを教えている。
あなたが人間から得るあらゆる「NO」は、あなたに自立することを教える。
あなたが直面している問題は、問題の解決策を得る方法を教えてくれる。
あなたが人々から得るあらゆる攻撃は、あなたに最もよい防御の方法を教える。
あなたを見下ろしている人は、創造主(神)を見上げることを教えている。"
(Titus Durkwa DavidのFacebookより)

NOBODY IS YOUR ENEMY *ANYONE THAT ANNOYS YOU* --is teaching you patience and calmness. *ANYONE THAT ABANDONS YOU* --is...

Posted by Titus Durkwa David on Thursday, April 11, 2024

#カフェではなく喫茶店のように

Drew Jones氏が、面白いが、あ、そうそうと思い当たる論考を書いている。例によって、DeepLで翻訳して読んでみて。

パンデミック後、多くの企業が従業員に「オフィスにもどれ」と言い出していることはご承知の通りだが、抵抗も多いのも確か。安易なRTO(リターン・トゥ・オフィス)がZ世代の反感を買っていることはここに書いた。

で、Jones氏はこの記事でこう締めくくっているのだが

多くの組織にとって、人をオフィスに呼び戻すことに現在以上の成功を収めることは難しいだろう。イノベーションには実験と学習が必要であり、これはパンデミック後の職場で切実に必要とされている実験である。

その実験と学習に、コーヒーショップ=喫茶店の要素を取り入れたらどうかと説く。そう、静かでおしゃれなカフェではなく、ざわついた喫茶店。(ここでは喫茶店と書く)

もちろん、誰でも喫茶店で仕事ができるかというと、そうではない。しかし、こう言う。

喫茶店のような場所で大勢が互いに共同して自分のことをしているとき、体験の質をシフトさせる何かが 起こることは否定 できない。 これこそが、コワーキングの原型である「co」の源なのだ。

「Co」=共同でワークスペースを使って仕事するという意味ではオフィスもコーヒーショップも、そしてコワーキングも同じだ。

しかし、喫茶店には(そしてコワーキングには)、彼の言うように「体験の質を変える」効果があり、その科学的根拠も明らかになっいる。

例えば、確かに喫茶店にはノイズも多いが、かえってそのノイズが微妙に影響してくる。いわゆる、「ホワイトノイズ」。

ちょっと検索してみたら、ChatGPTがこう答えてくれた。

ホワイトノイズは、さまざまな周波数の音がランダムに混ざり合っている音のことです。これは、等しい強度のすべての周波数成分を含むため、人間の耳には均一で一定の音に聞こえます。ホワイトノイズは、集中力を高めたり、リラックスしたり、睡眠を助けたりするために使用されることがあります。また、音楽制作や音響設計の分野でも利用されています。

集中するのか、居眠りするのかは、状況次第だろうが、個である人が三々五々集まってきて、各々が予定されていない行動をすることで音が混じり合う。

音楽の音、エスプレッソマシンのカチャカチャという音、様々なボリュームの複数の会話、テーブルや椅子の動き、ドアの開閉音などとともに、これらすべてが起こっている。しかし、多くの場合、ラップトップ戦士たちは躊躇しない。このような環境では、大音量の喧騒にもかかわらず、いや、喧騒があるからこそ、生産性が高まるのだ。

そう、不思議と集中できたりする。こういう音は意図的には作れない。その瞬間だけに発せられるものだ。この偶発性が、人間のオツムに創造性をもたらせる信号を送るのだろう。

それにこのノイズがあるから、「ほんなら自分もここにいていいよな」と思える。これがシーーーーーーーーーーーーーーーーーンとしてたら、気を使ってそうはいかない。なんとなくアウェイを感じて居心地が悪い。ノイズはそのアウェイ感を和らげてくれる。←ここ大事。

そしてその「ホワイトノイズ」は、コワーキングにも付き物だ。むしろ、シーンとしているほうが居心地悪い。誰もがカツドウしていることを示す「ホワイトノイズ」は、それこそ自身の脳をも刺激する。同時に話しかけて仲間になる切っ掛けを作る。それがないコワーキングはコワーキングではない。

そういえば以前、東京のどこかのコワーキングの壁に「私語厳禁」と張り紙がしてあった、という話を聞いて驚いてしまったが、コワーキングをただのハコとしか考えず、コワーキングの本質的価値を理解していない証拠に相違ない。

ところで、「豪華で大げさなアメニティが社員をオフィスに呼び戻すのに十分であるという考え方は空想にすぎません」と彼は書いてるが、言い換えると、企業の考えるようには人はカンタンには動かないということ。

途中、ハコに違和感を感じた興味深いエピソードが挟まれている。

私は数年前、ある一流の建築・デザイン事務所の美しく豪華なオフィスを訪れたことを思い出す。ホストは誇らしげに、カジュアルな交流と "セレンディピティなコラボレーションとイノベーション "を誘発するように設計された "カフェエリア "を見せてくれた。しかし、この特別なスペースには(一緒に座っていない)2人しかおらず、雰囲気はピンと張り詰めた静けさと無菌状態だった。

私たちが少し大きな声で話していると、そのスペースにいた2人のうちの1人が、静かにしてくれないかと頼んできた。私たちは声が大きすぎた。

このオフィスでは、ビル全体が同じように静かだった。おそらく、建築家やデザイナーの創造的で技術的な仕事には集中力が要求されるため、絶対的な静けさが唯一の方法なのだろう。しかし、賑やかで大音量で音楽が鳴り響く喫茶店がお気に入りの仕事場だと主張するデザイナーは他にもたくさんいる。

喫茶店がいかにイケてるかを示すものとして、彼は先の「ホワイトノイズ」以外に、「風景の変化」「視点を変える創造性」そして「ソーシャル・ファシリテーション」を挙げている。

積極的な同調圧力、あるいは社会的促進による影響もある。積極的に仕事に取り組んでいる他の人たちの存在が(人数が多ければ多いほど)、行動を促すのだ。他の人たちが生産的・創造的な活動をしていると、私たちも(ちょっと不思議な理由で)自分の活動を高めざるを得なくなる。その結果、非常に充実した生産的な作業セッションができる。

確かに、周りがみんな頑張ってると、「自分もやらなアカンな」と思うものだ。不思議なことに。

それはつまり、人間が社会的動物であること、そして誰かいてくれないと生きていけないということの証左だということ。

だから、「Co」=共同、一緒に、なのだ。

生きていくために、コワーキングしましょう。

ということで、今日はこのへんで。


ここから先は

0字

最後までお読みいただき有難うございます! この記事がお役に立ちましたらウレシイです。 いただいたサポートは今後の活動に活用させていただきます。