今日のアウトテイク#16「コワーキング屋台村構想 他」【メンバーシップ特典】(2023-12-04)

<アウトテイク>
・SNSに投稿する前の推敲(もしくは配慮)なしのメモ
・投稿せずに、いや、やっぱりやめておこう、と思った殴り書き
・ブログ記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼

※noteメンバーシップ「Beyond the Coworking 〜移働の時代〜」に参加いただくと有料記事も全文読めます。

※読んで面白かったらぜひシェアくださいまし。


#今日のBGM

#165秒

冷凍食品を電子レンジにかけようとしたら「500W 165秒」と書いてある。
「165秒?」
2分45秒と判るまで、ちょっと間があった。
だいたい、こういうのは「分・秒」で表示するものだと思ってたが。
で、2分45秒、チンした。
まだ冷たかった。

#古典文学

「なんで同じ本を何度も読むのか?」と問われて、「本はずっと同じでも、読み手は変わっていくから」という答えに納得。毎回読むたびにそれまでと違う発見がある、と。特に古典文学を好む人はこの意見に賛成ではないだろうか。

そういえば、古典ってほとんど読んでいない。一応、本棚には、『罪と罰』『大いなる遺産』『人間の絆』『怒りの葡萄』なんかがあるけれど、どれも積ん読だ。

そろそろ、腰を落ち着けて読むとするか。来年。

#席数ないから

とある飲食店さんが「◯テレは出入り禁止にした」とTweetしてた。どうやらテレビ局の人の「番組に出してやる」という態度がよっぽど酷かったらしい。(コメント欄を見ると、あの業界は結構そうらしい)

そもそも、その店自身はテレビにも雑誌にも出たくない。理由は「そんなに席数がないので」。なるほど。うちもそう。いつも「めちゃくちゃ狭いのでびっくりせんといてね」と言ってる。それでも、来てくれるからウレシイ。

ただ、この狭さがかえって人の距離を近くして、コミュニケーションしやすくしているのも事実。だからこれで良かったと思ってる。

そういえば、3年前に日産がスポンサーの「CHANGE YOUR LIFE」というTV番組で、こんな狭いカフーツを取材してもらったことがあった。制作クルーの人たちも、よくもまああれだけ機材を持ち込んで首尾よく録画したものだ。さすがプロ。

放送後、YouTubeにもアーカイブされてたはずだが、今見たら、どうやら削除されたみたい。珍しく時間内でしゃべくりを収めた稀有な例だったんだけど。

#コワーキングマネージャー養成講座@オンライン(告知)

「コワーキングマネージャー養成講座@オンライン+オプショナル現地オフライン補講」、第5期受講者募集中。

週一回のオンライン講義にオプションとして現地コワーキングでのリアル補講をミックスしたハイブリッド方式。

オフライン補講は現在4ヶ所で開催予定で自由参加、かつ、オンライン講座を受講していなくても参加できます。

なお、一部の自治体ではこの種の講座の受講料を補助する制度があり、過去には福島県の補助金を活用して受講された方もおられますので、一度、地元自治体の問い合わせてみてください。

早割もあるので、関心ある方は早めにこちらまで。

#生活史というメディア

来た。
また立った。

これでシリーズ3冊揃い踏み。
全部で3337ページ。
ぼちぼち読んでいく。

しかし、こうやって180度全開にして本を読むのは実に気持ちがいい。

ちょっと休憩がてらパラパラ拾い読みしたが、大笑いする話もあるかと思えば、しんみりする話もあり、リアルな世界にあの手この手で棲息する「人間」というのはなんと愛おしい生き物か、と泣きそうになった。大阪(関西)弁のトーンも忠実に再現されていて、まるで目の前で話すのを聞いているようだ。実に素晴らしい仕事だと思う。

余談だが、ぼくは「コワーキング」というものを、いずれ社会学、もしくは民俗学の視点から論考したいと思っている。なぜコワーキングなるものが発生したのか、誰の要請によるものか、その背景は何なのか、どういう要件を満たす必要があるのか、ないのか、そして、そこに集う者はどう行動し、これからの社会でどういう役割を担うのか、そしてそこに人間は何を見出すのか。

ビジネスの要素は踏まえつつも、もっと根源的な部分を掘り下げたい。昨日の「社会関係資本とコワーキング」の稿も、それに絡んでいる。

問題はいつ書くか、だ。

が、この「今日のアウトテイク」が一種のペースメイカーになってきたので、このノリで少しずつ進めていこうと思う。ボチボチ、と。

#コワーキング屋台村構想

先日、このイベントをオンラインで視聴していて思い出したことがある。

最後の方で、たしか「どうすれば、そのローカルとのつながりが作れるか」という問いに対して、登壇者のおひとりの答えは

用事がなくてもでかけていく。
足繁く通う。
そのうち、またおいでよ、と誘われるようになる。

だった。確か。

最近、ワーケーション文脈で必ず出てくる決まり文句が「非日常の日常」だ。地元の人たちにとってはごく普通の日常の一コマに、外来者が、一時、交じり、自分にとっての非日常を味わう。それが、単に観光するだけの旅ではない満足感を与える、と。判る。

その「また来てよね」と言ってあげる、言ってもらう、そういう接点を作るのもローカルコワーキングの役割だ。

ただ、一回来ただけでは、なかなかそうはならない。もう少し、何回か、接する機会があるほうが望ましい。だが、(我々と違って)そうたびたび出かけて行けない人がいるのもまた事実。

で、思いついた、というか、あるアイデアを思い出した。

この手のイベントは、各地の地方自治体が連絡事務所(と、今でも言うのかな)を置く東京で開催されることが多い、というか、ほとんどそう。それは、東京には人が集まるから、その一点。

で、地方自治体が東京もしくは大阪みたいな大都市に、地元に興味ある人の相談室みたいのを設置したいのなら、そこをコワーキングにして、そこで地元のワーカーさんが仕事していて、そこに移働あるいは移住を考えている人が出かけて行って、直接、話をする環境にしたらどうか。

つまり、東京の、あるいは大阪のどこかに、広島コワーキングとか岩手コワーキングとか島根コワーキングとかがあって、そこで東京や大阪在住の地元出身のワーカーが仕事している、という風景。

カウンターで自治体職員さんの話を聞くのもいいけど、そこで仕事なりなんなりのカツドウしている人の生の声を聞くのも有益だ、と思うのだが。

で、思い出したというのは、今から遡ること5年か6年前だったか、池袋のコワーキング「Open Office FOREST」さんでなにかのイベントの時に皆でこういう話をしてて、「いや、どうせなら、その地元コワーキングを一ヶ所に集めてやったらどうか」というアイデアが出たんだった。

つまり、コワーキングの屋台村だ。いや、今なら、さしずめ万博か。いずれにしろ、あちこち移動するのは面倒くさい、一ヶ所に集めてしまえば、「はい、広島、こんにちは」「さて、次は岩手行くか」「おっと、島根もあるじゃんか」という風に、露店をはしごするように各地のコワーキングを、擬似的とはいえ連続して体験できる。素晴らしいアイデアだと思うのだが、どうでしょう?

これを、全国の自治体が共同で予算を出し合って催行する。それ自体がコワーキングでもある。

もとより、移住ないしは移働の意志のある人たちが集まってくるので、集客にも無駄がない。参加者も同じ志向を持つ他の参加者と交流し、情報共有する機会を得られる。双方にとってメリットは大きいと思う。

ま、そこに競合が起こることを懸念する向きも一部いるだろうが、そうではなくて、昨日も「コワーキングに競合という概念はない」と書いたように、手を取り合って「移働者(リモートワーカー)」と縁をつなごう、という趣旨を理解した自治体同士でやればいいんじゃないかと考えたりする。

で、ローカルコワーキング間でコワーカーの相互乗り入れ、というか、交流関係が結べたら、さらにベターだと思う。

ついでにそれとは別に、コワーキングマネージャーが各地のコワーキングを移動する、もしくは掛け持つ、という話もあるが、それは次の機会に書くことにします。

ということで、今日はこのへんで。


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