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あまり好きでなかった父の見え方が大きく変わった理由~でも昔の私では気づけなかったな~

4年ほど前まで、父に対して人間的に魅力を感じなかった。

「不自由なく育ててくれて、私立の薬学部まで卒業させてくれて感謝はしているが、人間としてはあまり父を好きではない」と人に説明していた。

人を楽しませるのが上手ではないし、気の利いた言葉も出てこないし、食卓ではいつも斜め下を向いていて、時折ため息をついて、ストレスが胃に来やすくて、体質的に太れず身長183cmで60kg未満だった。

子供に何か強く強制することはないが、”~をした方がいいよ”とか、いつも先回りをするのが、私には窮屈だった。

若い頃は趣味でバイクに乗っていて、私も子供の頃は後ろに乗せてもらい、ツーリングに出かけることもあったが、体力が衰えてくると、早々と乗るのを止めてしまった。そんな攻めの姿勢が見られないのも私にはもどかしかった。物事に慎重な彼に対し、少々気合バカだった思春期の私は「この人、気合が足りない気合が!」と思っていた。

そんな印象の父だったが、何か、どこか、よく分からない強さを彼に感じていた。

お酒も飲まず、友人とのかかわりも見たことないし、人の悪口も言わないし、何で発散するわけでもなく、いつもマイペースに生活していた。自宅とドア1枚で続く接骨院で週6日間淡々と仕事を続けていた。

母から聞いた話では、結婚当初全くお金がなく、田舎の山奥で、お風呂も借り湯で、すきま風どころか朝日が塀のすきまから射すような部屋で、接骨の仕事をして生活を始めたそうだ。「そんな生活でも卑しい感じがなくて、優雅なのよあの人は」と父のことを言っていた。

私が3歳の頃、もう少し人口の多い、私が18歳まで住むことになる村に引っ越した。ローンを組んで自宅と接骨院を建て、近くに団地が出来たこともあり、子供も多かったので商売はそれなりに順調だったようだ。

子供の頃私は、自分の家はお金がないというイメージだったが、父母の結婚当初を思えば娘を奨学金使わず私立の大学に行かせたのだから、冷静に考えればすごい事だ。

しかし大人になってからも、電話で父の声を聞いたり実家に行って会ったりすると、その度に気分が下がったり何かイライラすることが多かった。

心地よさ、快さ、のようなものが、父からは全く得られなかった。


そんな父に対しての印象が、全く、180度と言ってもいいほど変わった瞬間が4年ほど前にやって来た。

FXに出会った私は、簡単な手法だけ学んで少額で取引を始めた。そのうち、目の前のチャートを追って翻弄されていては全く話にならないことに気が付いた。

最初に買った派手な表紙のFX本は捨て、投資関係のハードカバーの本を10冊くらい買って、3回ずつくらい繰り返し読んだ。そして、哲学的、心理学的な部分にも惹かれ、自分と向き合うようになった。投資、投機の世界では、すべて自分で責任を持ち、人のせいにしたり言い訳してはいけない、今までの思考パターンに固執してはいけない、そしてあらゆる生活の場面でそれを落とし込んでいく必要があることを知った。論語などにも興味を持つようになった。

そのうち、あれ?という思いが出てきた。学んでいる世界の中に、自分の父親の顔が重なって出てきたのだ。

何となくそれっぽい話を母にした時だったか、母からこんな言葉を聞いた。「お父さんは中学生から高校生にかけて、繰り返しずっと論語を読んでたらしいわよ」

あ、そう、そうだったの。すべてが繋がって納得した気がした。

彼に感じていた強さはそこにあったのだ。

ただし父はインプットが主でアウトプットをしてこなかったため、なかなか周りに伝わらなかったのだ。

私が変わったことで、父の見え方がガラッと変わった。気付くのに時間がかかってしまい、父に対して申し訳なかったが、それでも気付いて良かったと思った。

昨年、私が離婚届けを出してきたとメールで報告した時は、「新しい生活が始まりますね」と返してくれた。その一言が心強かった。

父は仕事に関しては、実家の周りの子供が減り高齢者が増えると、ケアマネージャーの資格を母と一緒に取り、接骨の仕事と数年間並行し、その後接骨院をたたんでケアマネージャーのみ昨年まで続けていた。そんな頃、近所のお寺の住職である叔父(父の弟)から、”小遣い稼ぎにお寺の留守番に来ないか?”と話があり、今春からお寺に通っている。

そんなふうに流れに乗るあたりも、さすが、素晴らしいと思った。

今は、”大好きな父”とちょっとニュアンスが違うが、私にとって通じる人、心強い人、である。




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