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一杯一杯な自分を自覚しないと、肝心なことが見えなくなってしまう~家の事ほとんどを仕切っている女性とか~

長女と話をしていてたまに出てくるのが、長女11~12歳、私が残念な思考から抜け出せていない暗黒の時代の話。その頃の話になると、お互い考えていた事のすれ違いから、ちょっと微妙な雰囲気になったりする。先日も長女とその頃の話になった。

小学5~6年の長女は、もう父親の話なんて全く信用できないし、父親がエラそうに言う事なんて全く聞く気にならないと思っていたそうだ。母親である私の事もあまり好きではなかった、5歳下の妹を常に優先し、可愛がるように見えていたと言う。学校の同級生の、常に遠回しに自分を叩いてくるような態度、学校の先生の上っ面にもとっくに気付いていた彼女は、その頃は誰も信用できなかったそうだ。

その頃の私といえば、とにかく必死だった。仕事、家事、家計の管理、夫の管理(?)、学校の役員、娘たちの習い事関係、将来の心配・・。しかしそのような生活から抜けるとか、抜け出す工夫をするという頭がなくて、イライラと不安と錯覚した充実感を、当然のように感じながら過ごしていたのだから怖い。

そして長女は、”子供の事も家の事もすべて母親が一人で負って、なんていう家庭なんだ”と思っていたと言う。私はびっくりした。そこまでの自覚はなかったし、少しは夫に家事を分担してもらっていたと思うのに、そう見えていたとは。また、次女を可愛がることについても、むしろ私は時間やお金の優先順位を長女に置くことが多く、いつか次女に指摘されるのではと思っていたくらいだ。お互いの認識が全く違う。

さらに、長女が言いにくいことを決心して私に話したところ、軽くあしらわれたという。私には長女がそこまで思い切って口に出したというのが、伝わってきていなかった。私もはなから聞く気がなかったのかもしれない。

数年前に気付いて行動や思考を変えるまで、私は常に壁を作り、自分を客観視することをせず、そのため家族内のやり取りも客観視できなかったのだろう。だから、長女が本当に必要としていたことが何かという事にも気づかなかった。完全にその時代はエネルギーが循環せず、枯渇してた・・。

話の中で長女は、”その頃は自分も、人はどうしてこうしてくれないんだろうとか、周りは変わらないのに人を変えることばかり考えていた”と言った。

私も長女も自分を変えるために、気付いて、ショックを受けて、色々試して、今は全く違う世界にいる。しかし、かつての私のようにエネルギーが枯渇している人は沢山いると思う。

何もエラそうなことは言えないが、手放せることを探し、工夫するという意識を持ち、自分をいたわることをしてほしい。そうしないと、身近な人の肝心な事にも気づけないのではないかと思う。まずは、一つ要らないものを探して手放すことから始めるとよいかもしれない。当時の私は”楽することに抵抗のある自分”を手放すことから始めると良かったと思う。週2回は納豆と目玉焼きの夕食にするとか・・。

昔の私の近くにいた娘たちは何かキツかっただろうな、と思うと力が抜けてしまう。とにかく、私も娘たちも今元気で生きていて良かった・・と思う。






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