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私自身の話~自分を解放するために考えてきたこと~

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外向性が演じられる内向型人間で、HSPと少しのサイコパス的要素を持つであろう自分の考えや経験。何よりも自由を得るために、自分の価値観で生きていきたいという思い。
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#子育て

レールに乗った人生〜クソの役には立っていた〜

私の辿ってきた道を簡単に言えば、レールに乗った人生である。小、中、高卒業し、浪人せず薬学部に入り、留年せず卒業し、薬剤師国家試験も1回で合格した。しかし、数年前まではそういう自分を認めながらも、自己否定も強く不安定だった。 子供の頃は集団生活に居心地の悪さを強く感じながらも、何とか順応するよう自分に言い聞かせて学校に通ってきた。6歳下の弟は小学校高学年から不登校になった。彼は大人の世界の様々な矛盾に気付き、目覚めるのが早かったタイプだ。私は弟が感じていることに同感しながらも

子供から吸収しなければもったいない!  〜親ぶることをやめれば、お互い良いことばかりだ〜

とかく親と言うものは、子供よりも自分の方が上である、知識がある、経験があると思いがちだ。しかし考えてみれば、自分という一人の人間と自分が見てきたものは、広い世界のほんの一部だ。更に子供のためと言いながら、自分の安心のために、多くの人がしている"努力"という名の行動を取らせようとする。私もその親の一人だったと思う。 しかしある時、”これは子供から吸収しなければもったいないな”と気付いた。長女は中学2年くらいから、有名人から一般の若い人のブログなどで、多くの考えや生き方を検索し

料理なんかしたくないと認めたら収入が上がった~優等生の私サヨナラ~

たぶん私は料理は普通には出来ると思う。特別凝った料理でなければ。しかし、できる事としなければならない事は別だと分かった。 結婚して自分の料理を喜んでもらえるのが嬉しくて、始めは楽しく作っていた。しかし何でも義務感でムキになってしまうのが、私の要らない優等生意識と、自分の首絞めだ。 売っているおかずでバランスの良いものは値段が張る。売っている安いおかずで、ボリュームあるのは揚げ物だ。たまにお弁当を買っても何か不経済な気がする。安く、ある程度バランス良く、となると手作りしかな

してもらってるのに疲れを感じたら、それは自分がお膳立てしている

夫婦の家事分担や子供の手伝いなど、分担してるはずなのに、疲れを感じる人がいるのではないかと思う。私は大いにあった。 例えば夫に食器洗いをやってもらったところで、キッチンの管理を自分がしている場合"夫が洗い終わったらあれをしておこう"など意識が離れない。また相手が"やっつけ仕事してるな"と感じると、こちらがお膳立てして"家事をやる夫"を演出してる感覚になる。それに気付くと余計に疲れるので、私がする。そして夫の仕事は風呂洗いくらいになる。 私の誕生日にカレーを作ってもらった時

年上の子に泣かされて家に帰った時の母の対応~よしよし、なんて言ってもらえない~

小学校低学年の私はある日、近所の年上の子に泣かされ、泣きながら家に帰った。 玄関で私の姿を見た母は、 「自分でカタをつけてきなさい!」 と言って、家に入れてくれなかった。 私はカタをつけに行けるわけもなく、薄暗い中、家の近くをトボトボと歩いた。 泣き止んで落ち着いた頃、再び家に帰ると、 母は何も言わず、少し微笑んで家の中に入れてくれた。 "泣いている自分を何とかして欲しい" という根性が気に入らなかったのだろう。 厳しいイメージの母ではなかったが、彼女の様々

人から見えている自分を気にして落ち込まなくなった理由~大人になってもそんなことで悩んでいた私に長女の助け舟~

一年くらい前か、これまた長女に救われた事がある。スケールが大きい話ではないが、自分の精神状態にはとても大きな話だ。 私は"いつも笑顔が素敵な女性"とは到底言えないと思う。40も過ぎるまで、頑張ってニコニコ話してるのが相手に不自然に思われないかとか、話してる時の表情が引き攣ってないかとか、話す内容に相手が引かなかったかとか、事あるごとに気にしていた。 若い頃ほど勝手に気にして、勝手にひどく落ち込むこともあった。子育て中は、自分の価値観には自信を持つようになってきたが、それで

学校懇談会で今年気づいたこと~退屈だった理由はこれか!~

小学校や中学校の学校懇談会。 担任がどんな先生かを知りたいので、年度の始めだけ毎年出席している。 先日は中1次女のクラス懇談会に出席した。姉が小1から数えると16回目くらい。 懇談会では必ずと言っていいほど、親が順番に自分の子供について話をする、というのがある。 うちの子はー、こういう子でー、もう少しこうしてくれたらー、でもこんなところもあってー・・ 正直ほとんどが退屈な話。 しかし今回話を聞きながら、ある図が頭に浮かんだ。 つまり、多くの人が考える基準をあらわ

子供の頃の吃音(どもり)とその名残り~でも意外とどもってる人いるかも~

小学生の頃、私はどもりがひどかった。 それより小さい頃は、親以外の前であまり言葉を発したことがないので覚えていない。 小学生になり、例えば友達のさとこちゃんに話しかけようとすると、「さ、さ、さ、さ、さとこちゃん・・」という感じ。また吃音というのは、始めの一文字の声が出てこない事も指すようだが、それもひどかった。 不自由なのは学校の授業中。先生に当てられ立ち上がっても、一文字目が出てこない。やっと出てきても、どもりがひどい。毎日がスリルで苦痛。あーあ、何で地球が誕生したん