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分からないのではなく、考えてないんです。

生きていくというのは難しいことの選択です。難しいことがあるから逆に面白いのかもしれません。しかしこれは私の個人的な見解に過ぎず、難しいことを困難に感じ、それが原因でストレスになる人もいることは理解しています。もちろんこれは見解の違いですので、どちらが正しいとか間違っているとかの問題ではないと思います。ですが人生の半分生きていますと、何かしらの見解というのが見えてきておりまして、


結局のところ、答えを出して進んでいくしかないのではということです。



同じことを何度も繰り返している人の傾向として、その原因がわからないとしてしまう人って多いんです。もちろん前述したとおりに、世の中は難しいことの連続ですから、何が良くて何が悪いのか。何をすればうまくいくのかがわからないという気持ちはわかります。でもわからないを答えにしてしまうと、


どうにもこうにも先に進んでいかないんです。



わからないという言葉を使ってしまうのって、本当に簡単なんです。「わからないからどうにもできない」。「わからないから先に進めない」。「わからないから上手くいかない」など、困ってしまえばこの言葉を使えば簡単に逃げることができます。逃げることはできても原因も分かってないのですから、自分がなんとかしようとは思っておらず、「わからない」と言っておけば、誰かがなんとかしてくれると心の片隅で思っているんですよね。
誰かがなんとかしてくれる。誰かが答えを導いてくれる。そんな楽なことってありません。しかし面白いことに、その誰かが何とかしてくれたことでさえも、やろうとなんてしないんです。その理由はものすごく簡単なことで、


自分で真剣に考えていないから。


よく「わからない」という言葉を使ってしまう人って、根本的に分かってないと言うよりも「考えていない」んです。もちろんこんなことを言ってしまうと多くの批判が出るかもしれませんが、考えるという概念が根本的に違うんです。目に見えていることだけが答えではなく、その答えは何度も何度も深追いして初めて出てくるんです。例えば、「早起きすると決めたのに早く起きられない」という現象があったとしましょう。もちろんそれには理由があるわけです。何度も同じことを繰り返す人の答え方って、「夜中までダラダラ過ごしてしまった」を原因にします。この現象を本当に真剣に考えている人というのは、こんな薄っぺらいことを原因にはしません。人の行動は必ず何かと天秤にかけています。この場合、「早起きする理由」と「目の前に現れる事象」とが天秤にかけられて、「目の前に現れる事象」が勝ってしまった事により起きたわけです。


ようは早起きする理由が対したことがない動機なわけです。



もし動機が本当に大切な理由であるならば、それは当然に真剣に向き合うでしょう。自分の中で明確な答えが出ないから、いくらでも回避する理由が出来上がってしまうんです。それだけ真剣に考えていない証拠なんです。根本的な話をしてしまうと、


自分が決めたことを堂々と守らない自体がありえない話だと思わないといけないわけです。


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