自分視点で素直に生きてみたら

毒親育ちの人はみんな生きづらさを感じている。

この数か月色々な毒親を含めた人間の心理学的な本や動画を凄く沢山見て本も読んだ。

それらは過去に感じた自分の感覚をよりはっきりした言葉にしてくれた。

私が自分の親にモヤモヤを感じたのは、やはり自立したいと思った時だった。

社会に出て会社の人が普通にしている独立を、親が不思議な理論や意味不明な言葉で抑え込んだからだ。

今でこそ毒親という言葉が広まっているけれど(一見過激な言葉だけど、色々な毒のパターンがあるので人に認知してもらうにはいい言葉だと思う)

当時の私の感じたことで生きづらさや、なんか変だなと思うところが合致したので、当時は 毒親 というワードこそ出なかったけれど、違和感は感じていたと思う。

私が自我を抑えつけられていたんだな、と感じたのはやはり結婚してからだと思う。

また子育てをしてみて更にそれが色濃くなった。

親は愛情を年々歪めて行ったのかもしれない。

いや、そもそも愛情があるということではなく、この子は将来自分のために私に何をしてくれるのかという期待の元で子育てをしたのかもしれない。

そう思えるほど自分の手元に置き、自分の希望通りにしようとしようとした行動が、年々私が自立を目指す毎に色濃くなってきたのだ。

しかし、それらがもっと私の自覚の中で芽生えれば良かったのだが、父親の早い死によって一時的にそれがまた抑え込まれ、母親が暴走することに拍車をかけてしまっていた。

それまで私は 親が許してくれるまで という風に物事を考えてしまっていたのだ。

それも恐らく父親が早くに他界しなければもっと早くに気づいたことだったかもしれない。

早くに父親がいなくなって可哀想にと思う気持ちから、親を毒親だという気持ちから遠ざけてしまっていたのだ。


自分を中心に考えれば、若い頃の自分に言いたいのは

一人暮らしをしたかったら自分から出て行けばよかったのにだ。

親の承諾などいらなかった。

また父親が早くに他界して可哀想という同情心がなければ

家も実家の近くにはしなかっただろう。

ようするに自分の考えがもっと自立していれば良かったのだ。

私の考え方が親を助長させてしまっていたと今は思う。

嫌だったら別に相手が親も友人も関係なく、拒否ればいいのだった。

そんな簡単なことにも気づけないのが毒親育ちなのだ。

怖いですよねぇ……。

自分を中心に物事を考えるのは別にわがままなことではない。

自分が幸せになることで実は周囲も幸せになるのだった。

父親が早くに死んだのは私のせいではない。

母親が一人暮らしになったのも私のせいではない。

母親が淋しいのも私のせいではない。

最後の最後の淋しさは自分でなんとかするしかない。

誰かにしてもらうことではないのだ。

だから私が母親に遠回しに責められるのはおかしな話なのだ。

悪くない私が、親の終わらなく、解決もしない愚痴を聞く。

そんな愚痴のゴミ箱からは卒業したいな。

そう思ったのだ。

それを受け入れることが親孝行だと勘違いしていた。

それは本当の意味で親を幸せにすることではなかったし、そもそも親を幸せにしなければいけないことなどはないのだ。

そして愚痴を垂れ流すしかできない親を拒否ることが、一番親にとっても良い事なのだ。

親の意識や気持ちは生涯変わることはないだろう。

ただ、私が変わればいいことだった。

それに気づくのにどれだけ時間がかかったのか(;´Д`)

自分中心に考えたら生きづらいと思っていたことが嘘のようになくなった。

正直今が一番、私は自分らしく生きている。

自分らしく生きているから誰に対しても文句はない。

それでよかったのだ。

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