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文学人生相談所⑥田山花袋『蒲団』

社会的責任のある立場にある上に、妻子がある身でありながら、女弟子に欲情し、もう恋しくて切なくて……ムラムラモンモンとする毎日です。
本日の相談者 匿名希望(東京府東京市在住)

 こんにちは、実はですね、私はちょっとは名の知れた作家でしてね。くれぐれも匿名希望でお願いしますよ。

 三年前に三人目の子どもを妻が身籠った頃、生まれは備中で、神戸女学院の横山芳子という女学生から熱烈なファンレターを貰いました。田舎娘のファンレターなど珍しくはなかったのですが、文章を直してくれとか、弟子にしてくれとか、何度も手紙をよこすものだから文通が始まりました。

 とは言ってもですね、女として文学に携わることの不心得、女は生理的に母たる義務を尽さなければならない理由、処女にして文学者たるの危険などを説いて、諦めさせようとしたのです。しかし、とにかく情熱的な芳子は親御さんを説得し東京の女学校へ通う許可を得て上京することになり、私は言わば師匠兼東京に於ける監督を任せられることになったのです。

 女には器量というものが必要で、いくら才能があっても器量の悪い女は男から相手にされません。文学をやろうというぐらいだから、どうせ不器量にちがいない、勝手にそう決めつけていたのですが、世帯染みた女房とは大違いの、とびきりキュートなハイカラ娘でした。潤む瞳で上目遣いに「先生! 先生!」なんて芳子に呼ばれて、私はすっかり舞い上がってしまいましたよ。もうメロメロの、骨抜きです。

 その頃の私は、新婚の楽しさなどとうに冷めて、飯を食って寝るという単調な生活にウンザリして、何をしても味気なく、寂しく、ちょうどなんだか新しい恋をしてみたいような気になっていたのです。三十五歳、世の男が卑しい女と戯れたり、妻を離縁したりするのも、やっぱりこの年頃が多いですよね。

 だから芳子が来て、日々の生活がどれほど明るくなったことか。さすがに妻に怪しまれ、芳子の田舎の方でも問題視されてしまったので、残念ながら、芳子は戦争未亡人の義理の姉(妻の姉)の家に下宿することになりました。女学生というにはちょっと身なりが派手で、男友達と連れ立って歩いたり、部屋へ呼んだりして、近所の評判は芳しくなかったようです。

 実にけしからん。そのことで、私は師匠兼監督として説教いたしましたが、道徳を説きながら、その実内心には激しいジェラシーの炎をメラメラ燃やしていたのであります。だって、だって、あんなに熱烈なファンレターを寄越し、「先生! 先生!」なんて崇拝し、なんだか気のある素振りを見せておきながら、結局は若い男が良いのかよ!

 それだけではありません、恐れていた通り、芳子に恋人がいることが発覚したのです。同志社の学生、神戸教会の秀才とかいう若者。チクショー、こんなことなら、さっさと手を出しておけば……チャンスは何度かあったのに! 神聖なる恋愛、決して罪は犯していないなどと涙ながらに誓われても、全く信じることができませんが、将来はきっとこの恋を遂げたいから両親を説得して欲しいなどと相談されては、師匠兼監督として、そして恋する男として一体私はどうすれば良いのやら……。悶絶する毎日です。

かんやんの回答 おっさんだって報われぬ恋に悩むときはある、だって人間なんだもの。でも、ちょっとキモい、かなりキモい、だっておっさんなんだもの。
 こんにちは、たや……おっと、匿名希望のカタイ(仮名)さん。ご相談、ありがとうございます。

 お話を伺うなかで、ちょっとと言いますか、かなりコンプライアンス的に気になる点が少なからずありましたが、それは賢明なる読者の方々も当然気づいておられることでしょうから、こちらといたしましても、一々指摘することはよしておきます。

 それにしても、カタイ(仮名)先生! 鏡を見たことがないのですか? ならば、とくとご自分の面相をご覧あれ。マズイ面の冴えないおっさんに、若くてキレイな娘さんが本気で惚れると思ってるんですか? いや、いけ図々しいったらありゃしない。

 えっ? ルッキズムだとおっしゃる。そうかもしれませんが、いや、おっしゃる通りですが、では先生がお弟子さんに惚れた理由は彼女の美しい魂にあるとでも言うつもりですか、いやらしい目で舐めるように彼女の体をあれほど見ておきながら。

 あのね、おっさんは若くてキレイな女が好き。でも、若い女は若い男が好き。そして、若い男もやっぱり若くてキレイな女が好き。だから、恋愛におっさんの居場所なんかありません。そう、ツルゲーネフのいわゆるSuperfluous manというやつですね。

 北方謙三先生の人生相談なら、「ソープへ行け!」と一喝されるだけです。ぐじぐじ悩んでないで、自然主義からハードボイルミステリにでも路線変更したらどうですかね。都会の闇に忽然と姿を消した田舎出の文学美少女を捜して、夜の街をさすらうその師匠である文豪、なんて。『さらば愛しき蒲団よ』とか。一発ベストセラーでも当てて、印税で二号さん、三号さんでも囲って下さいな。おっさんは嫌いでも、お金が嫌いな女の人はいませんから。

(了)

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