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【エッセイ】捜神記私抄 その九

北斗と南斗
 前回に続いて、古代中国のイカサマ占い師(占い師をイカサマと形容すると同義反復になってしまうが)管輅かんろの話である。

 管輅が山東省を通りかかったとき、顔超という名の少年の人相を見るなりズバリこう言ったという。
「あなた死ぬわよ」
 本当に女言葉を使ったのか、ということはさて措く。

 まあ、人間は大抵死ぬものだから(その六で取り上げた不老長寿の仙人は別にして)、これだけでは単なる常識であって、占卜せんぼくでも何でもない。そういえば私も、かつて小学生の時に女子に手相、人相を見てやると言っては、「あなたは、いつか死にます」とか「あなたはブスですね」とか「あなたはデブです」などと占って顰蹙ひんしゅくを買ったことを思い出す。

 管輅は、イカサマ師の遣り口どおり、少年の顔には夭折の相が現れていると、金持ちの父親を脅したのだろう。テキストには何とも書かれていないが、問題解決のために少なくない報酬を請求したに相違ない。

「清酒一樽と乾肉一斤を用意しなさい。卯の日に麦畑の南側の大きな桑の木の蔭で、二人の男が碁を打っているはずだ。そこへ行って酒をついで、乾肉を出してやりなさい。何か訊ねられても、ただ黙って頭を下げれば良い。一言も口をきいてはいかんぞよ……。エイッ! こんなん出ましたけど〜」

『捜神記』巻ノ3第54話

 あたかも麦秋であった。少年が黄金の穂を風にそよがせる麦畑の畔を南へと歩いて行くと、果たして大きな桑の木が一本立っており、その木蔭で二人の老爺が胡床にかけてパチリパチリとやっている。瓜二つであった。そしてぼろぼろの漢服を纏った彼らは、見たことのないほど醜くかった。

 差し出された酒を呑み、乾肉をつまみながらも、老人たちはゲームに夢中で少年には気がつかない。やっと勝負ついた頃には日は傾きかけていた。

 北側に座っている老人がふと顔超を認めると、「お主は一体何者じゃ?」と訊いた。少年は教わったとおり黙って頭を下げるばかりである。
 南側の老人が言った。
「これは返礼なしには済むまいなあ」
「しかし、閻魔帳はすでに決まっているのじゃから……」
「どれどれちょって見せてごらん」
 南の翁が閻魔帳をひもとくと、顔超の寿命はたしかに十九歳となっている。そこで筆をとって、その「十」と「九」の間にささっとレ点を書き加えてしまった。
「さあ、これでお主の寿命をのばして九十歳まで生きられるようにしてやったぞ……」

 とんち話かい。

後になって、管輅は感謝する少年にこう教えた。「実は北側に座っていた男が北斗星、南側に座っていた男が南斗星だったのだ。南斗星は生をつかさどり、北斗星は死をつかさどる。人間はすべて、母の胎内に宿ってからは、南斗星から北斗星の方へと進んでゆくのだ。だから、一切の願い事は、みな北斗星にするものなのさ」

 メデタシメデタシ、これにて一件落着……なのか? 実際に顔超が何歳まで生きたのかは書かれていないし、記録も残っていない(と思う)。では、管輅は何歳まで生きたのであろうか?

正元2年(255年)、弟の管辰は、「大将軍(司馬昭)があなたに厚意を持っています。富貴な身分が望めますね」と言った。しかし、管輅は自分の寿命は47歳か48歳の頃に尽きるだろうと予言した。そして予言通り、翌3年(256年)2月、48歳の時に病死した。

Wikipedia

「ちょっ……たんまたんま、管輅先生、そこは酒一樽と乾肉一斤用意して閻魔帳にレ点書いてもらいましょうよ。84歳まで生きられますから!」

 亡くなる前年に自分の死を予言してから病死って、単にものすごく体調が悪くて、たぶん来年あたりまでしか持ちそうにないって考えただけなんじゃないの?

(続く)

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