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【エッセイ】風変わりな人々(破)

 村上春樹が地下鉄サリン事件の被害者を取材した『アンダーグラウンド』というノンフィクションに、たしか「普通に日常を生きている、平凡な人間こそが凄いのだ」というような意見が表明されていたように思う(ちらと立ち読みしただけなので、記憶は曖昧)。これはおそらく、修行を積めば空中浮遊やテレパシーなどの超能力を獲得できるなどと謳っているカルト集団への反発なのだろう。しかし、首を傾げたのは、彼の作品にはオカルト要素が少なくないと思ったからだ(リアルとフィクションはちがうにしても)。

 子どもの頃、スプーン曲げがたいそう流行ったもので、海外から来た超能力者がTV番組で掌の上で豆を発芽させたり、壊れた古時計をTVの前に持ってくれば動かしてみせるなどと豪語したり。感化されて、食器棚からスプーンをくすねて、曲がれ曲がれと大真面目に念じてみたりしたものだ。ひょっとしたら自分も超能力を使いこなせるのではないのか、自分は特別ではないのか、人にない能力があるのではないのか、選ばれし者ではないのか、そんな想いは確かにあった。そして、この齢になるまでに粉々に砕かれてしまった。それにしても、念力でスプーンを曲げることができても何の役にも立たないが(手で曲げた方が早いし、そもそも曲げたら使えなくなる)、曲がったスプーンや折れた箸をきれいに元に戻せるならそれはニッチではあるけど、立派な能力だと思うのだが。

 同じ頃、心霊写真が一大ブームになった。夜に一人でこっそり見るよりは(それはエロ)、「こえーっ!」なんて、陽の下でみんなでわいわい言いながら見るのが楽しかった。と、こんな昔話をつらつらと語って、一体何が言いたいのかと言うと、いくら日常に彩りをもたらしたとしても、やはりオカルト、スピリチュアルは実のところ凡庸であって、ちっともeccentricではないということなのである。カルトにしたって、平凡な人が一歩踏み間違えばハマる可能性はある。

 さて、高校生くらいになってくると、若くして散ったミュージシャンや無頼な作家に惹かれたりするようになったのだが、彼らはいずれもカリスマ的な表現者であって、単にそこにいるだけでeccentricな人とは違う。いずれにせよ、普通に日常を生きている、平凡な人間こそが凄いのだ、などという達観には到底至れそうにもなかった。それは、カリスマに夢中になった後に、次から次へとシリアルキラーの文献を(夜中にこっそり)読み漁ったことからもわかる。それは断じて猟奇趣味ではなく(と思いたい)、決して理解へと辿り着つかない殺人者たちへのアプローチなのだった。

 もう少し歳を重ねて、自分が選ばれし者どころか、普通に日常を生きている平凡な人間であることに否が応でも気づかされたとき、それが凄いことだなどとちっとも思えず、今度は天才への憧憬が目覚めた。そうしてレオナルド・ダ・ヴィンチ、アインシュタイン、クルト・ゲーデル、アラン・チューリングなどの伝記を読んで(というのは、彼らの手記や専門的な論文を読む知性に欠けるからに他ならない)、その天才ぶりや奇矯さを示すエピソードにため息をつくのだった。それと同時に子どもの頃のeccentric志向をいささかメランコリックに思い出し、こんな本を読んでみた。

 実のところ、内容はほとんど覚えていないが、真面目な研究書などではなく、事例の収集であることは確かである。奇人ではなく、どうしようもなく奇人へ惹かれてゆく人たちへの共感というものは感じた。やたらと奇人に執着する人たちの奇人性というものもあるのだ。しかし、この本に集められた事例は、ほとんどが何らかの脳の疾患から説明され得るではないのかという疑問も払拭できないのである。病気というものも、健康な人間にとっては甘美な空想の酵母になるのだろう。『隠喩としての病』というタイトルの本があるが(未読)、たとえば結核が文学的な疾病しっぺいであるという認識が、なぜだかある時代には共有されていたようなのである(ある作家は、病気になるため結核患者の痰を口にしたという)。

 病気への興味、これも又天才への礼賛と並んで、私の中に深く刻まれた一時期があった。ドストエフスキーやフローベール、ゴッホの癲癇てんかん、ゲーデルの被害妄想、ヴァージニア・ウルフの鬱病などである。しかしながら、この齢になると、心身共に健康が一番というまことに凡庸なる結論に落ち着いたのである。

 それはともかく、治療が必要かもしれないような奇人のキャラクターを面白がるという態度は、現代では問題となるのではないか。こんな風に時の流れとともに私の興味は移り変わり、周囲のeccentricな人たちへの関心は薄れていったのである。そもそも、風変わりな人たちは、そんなにも風変わりでもないかもしれない。世の中にはまあ色んな人がいるし、もうそれをいちいち面白がったりはしないということである。それとも、単に年を食って好奇心を失っただけか?

(続く)

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