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歩くことの自分史

 ずっと歩いてきた、比喩的な話ではなくて、いやもちろん、比喩的な意味でもこの冴えない人生をあっちへふらふらこちっちへふらふらと歩んで来たのだろうけれど。

 今から数十万年前にアフリカ大陸の奥地、ボツワナかどこかで誕生した解剖学的現生人類は、数万年前にアラビア半島を経由して、三つのルート(①ヒマラヤの北を通ってシベリアへ。さらにアメリカ大陸へ②ヒマラヤの南を通って東南アジアからオーストラリアへ③ユーラシア大陸西部へ)で世界へ散らばったらしい。

歩いたんだべな、歩いたんだべ
寒がったべ。暑かったべ。腹も減っていだべな。
灼熱の砂漠を歩いだべ
遠くヒマラヤを横目に見だのが
凍てつくシベリアを歩いて来たのが
……
一度でもいい目をみたが、笑ったが
人を殺したが、殺されだのが
……
どこさ行っても悲しみも喜びも怒りも絶望もなにもかもついでまわったんだべ
それでも、まだ次の一歩を踏み出した
すごい、すごい、おめはんだちはすごい
気の遠ぐなるような長い時間を
つないでつないでつないでつないでつないでつなぎにつないで
今、おらがいる

若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』

 いや、そういう壮大な話ではなくて。歩くことの人類史ではなく、自分史です。

 急にスケールが小さくなるが、自分の子ども頃の住まいは、地方の5階建ての団地の最上階で、エレベーターなんてないから、一日に何度も足を使って上り下りしたものだ。そのおかげで足腰が鍛えられのか、運動神経が鈍く短距離走は苦手だったのに、長距離走は涼しい顔でこなしていた。

 中学生になってベッドタウンの一軒家に引越し、念願の犬(エアデールテリア)を飼ってもらい、三日坊主が六年間毎日(上京するまで)、朝な夕なに散歩に出かけた。とにかく田んぼと畑と山ばかりのど田舎である。

 学生時代は全然運動せずに酒と煙草のインドア派だったけれど、社会人になってから突如アウトドア派になり、山岳会に入って毎週末は山で過ごした。その頃に比べて、明らかに体力は落ちてきたけれど、今でも平均すると1日10キロ以上は歩いている。

 歩くこと、それが何より肝要。歩くことをやたら厭う輩には、きっとそれなりの報いがあることだろう。

 グラフにしてみると、日本人の車の保有率の上昇と糖尿病の増加率には相関関係があるらしい。食生活の変化の与える影響が全く考慮されていない、こんなグラフに何か意味があるのかというツッコミもあるだろうが、言わせてもらうと、そういう輩に限って歩くことを厭う糖尿病予備軍にちがいない。

 都会と片田舎では、田舎の方が自然豊かで健康的に思えるかもしれない、とあるコラムニスト(お名前は失念しました)が書いていた。ところがである、同じ世代である彼女の都会住まい両親が田舎暮らしの義理の両親よりはるかに若いのだ。その原因は、徒歩移動と車移動のちがいにあると彼女は結論づける。

 とにかく、田舎の義理の両親は歩かない。コンビニへ行くのも車である。足腰から衰えてくると、よけいに歩かなくなるから、悪循環である、と。

 そもそも田舎の道には歩道が少ない。観光地でもなければ、遊歩道など気の利いたものもない。人が歩いて移動することを前提に、街づくりをしていないのである。自分が犬の散歩で毎日々々歩いていたのは主に農道であったが、農家の方(高齢者ばかり)は軽トラやトラクターで移動しており、そんなところをわざわざ歩くのは、犬を散歩させているニュータウンの人たちばかりであった。

 都会からベッドタウンに越して来た者の中には、健康のためにジョギングを習慣とする意識の高い人たちも若干いた。しかし、彼らは決して舗装されていない農道へと足を踏み入れることはなかった。

 ジョギング……愛犬を連れていても、もちろん走ることができる。農道を走るときには、影響されやすい10代の脳内では、決まって映画『ロッキー』のテーマ(ビル・コンティ)が再生されているのだった。だんだん昂ってくると、ど田舎のあぜ道が妄想の中で早朝のフィラデルフィアとなり、見えないファンの子どもたちがこぞって自分の後を追かけてくる。栄光へ向かってともに駆けてゆく……。隣を走る犬には絶対に理解できないことだろう。

 ただ歩くだけでは、運動というには不可が少な過ぎるのではないだろうか。たしかに自分もこれまで何度か走ることを習慣にしていた時期があった。次回はウォーキングとジョギングを比較考察してみたい。

『ココロとカラダと』第1回

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