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重力について(5)

 山好きなら誰もが知っているにちがいない伝説的なアルピニストが、アルプスの岩壁から大転落した時のことを記録している。トップで岩登りをしている最中の滑落で、辛うじてザイルが彼を引き止めたが、それまで数十メートルかそこら空中を落下した。まるで恐怖を感じなかったというが、勇猛果敢なアルピニストだったからではなく(本人は間違いなく勇猛果敢なアルピニストであったが)、落ちながら死ぬという実感がない。高価な登攀具を落としたことを気に病むぐらいなのだから。しまった!と思うが、驚愕の表情を浮かべることもなく、ただ落ちてゆく、中心へと向かって。

 映画で落ちる人を見せる場合、スローモーションが多用されるのは、動きが早すぎて見えない、ということと、ドラマチックな効果を狙ったものであろう。こういうシーンを集めてきて継なぐと面白いかもしれない。しかし、危機にあってアドレナリンが分泌されて、時間が引き伸ばされるということは実際にある。

 引き伸ばされた時間の中を、ゆっくりと落ちてゆきつつ、しかし恐れはない。惜しまれるのは自らの命ではなく、登攀具の方なのである。

 実をいうと、一度墜落したことがある。山好きが高じて、岩登りなぞ始めて、今となっては信じられないが、毎週のようにクライミング・ジムやゲレンデに通っていたときのこと。岩登りのゲレンデというのは、まあ近郊の低山にある岩場であるが、本ちゃんで登る岩壁よりも先ず厳しく、難しい。難しい(が、リングボルトなどの支点がしっかりしており、ある程度安全が確保された)ところで登攀・ロープワーク・クライミングシステムの訓練をみっちり積んでから、本番(山)に挑むわけである。

 先輩(といっても年下なのだが)が、ヤモリが壁を這うようにしなやかに体をくねらせて岩壁をするする登ってゆく、その尻をビレイしながら見上げて、不安になるどころではない。ふと脇を見ると、岩のちょうど胸の辺りの高さに打ちつけてある真鍮のプレートに、単に名前と生年没年のみが刻まれてあって、正にこの場所で、数年前に二十代で亡くなったと読める。もはや嫌な予感しかしない。

 腰のハーネスは硬くロープに繋がれて、上から引っ張り上げられるようにして、初心者がおっかなびっくりに登り始める。そんな訳あるはずないが、ほんとんど垂直に感じられた岩肌のホールドはしっかりしているし、摩擦が効いてクライミングシューズにしっくりくる。なんと意外に易しいではないか、と鼻息荒く思う。ジムでのトレーニングの賜物か、それとも筋が良いのか。天才クライマーの誕生か!

 二番目のビレイポイントである岩棚(そこでは二人が立つことができるだろう)に辿り着く手前で、足元を見下ろすと軽い目眩に襲われた。落ちたら助かるとは思われない非現実的な高度感である。ロープたった一本を支えに、垂直(主観でしかないが)の壁にしがみついている自身の生命は、もはや守られていない。甚だしい危険に剥き出しに晒されている。

 ふと雨を感じて見上げると、岩棚から見下ろす影になった先輩の顔から汗の雫が滴り落ちたようだった。抜けるような水色の空を背景に眩く輝く雲の切れ端があった。どこか長閑に鳥が頭上を横切り、その影も移ろってゆく。いつしか今ここが緩んで恣意感に捉われる。

 一体、どこで何をしていることやら、と他人事のように自分のことを想っている。すると、次の瞬間、足を踏み外していた。

 落ちたといっても、もちろんグランドフォールではなく、間違いなく確保され、ダイナミックロープの伸びがあるから、びよよんとバネのように今度は上へ跳ね上がり、次いで左右に振られて、肘や膝を岩にぶつけて青あざをこさえた。それだけの話である。ほんの数メートルの落下だったろう。

 何も想わなかった、何も想う時間がなかった。恐れを抱く暇も、後悔もない。空白ばかりがあった。

 落ちてゆくとき、人は何も想わないのだ。或いは、引き伸ばされた時間を落下しながら、伝説のアルピニストのようにとりとめもないことを想っている。ずっととりとめもないことを想って生きてきたかのように。本当にそうだ。

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