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「ボーイ・ネクストドア」04

(承前)
 消えた女の子の行方が杳として知れないまま、当たり前に日々は過ぎ、世の耳目を集める新たな事件が相次いで起こると、学校では誰も彼女のことを話題にする者がいなくなってしまった。投げ込まれた石が起こした波紋が収まると、水面が深閑と静まりかえっているかのように、あるいは又、まるで初めから何事も起こらなかったかのように。
 もう一度、今度はひとりでリュックを背負い、それなりの装備を持って山を歩きまわってみた。手柄を独り占めにしたかったわけではなくて、もう近江が興味を示さなかったからだ。その試みも徒労に終わると、雨が降る度に気温が下がる季節になり、もし迷子の場合は生存は絶望的だと思われた。たとえば、そんなものがいたとして、熊や野犬に襲われた場合、まったく遺留品が残されていないということは考えにくい。道迷いの末に行き倒れたとしても、そうだろう。身代金の要求もなく通常の誘拐の線がないなら、変質者に連れ去られて殺されたか、どこかで監禁されていると考えるのが理にかなっている。そのような事件は現実に繰り返し起きているのだから。
 顔見知りによる計画的な犯行の可能性は限りなく低い。こんな田舎まで尾行してきて、親の目が離れる瞬間までずっと近くで見張っているなど不可能である。だとすると、たまたま居合わせた男に魔が差したということになるか。
 地元の農家の人間、たとえばあの茶畑の持ち主を犯人だと仮定してみる。いくら小さい子どもでも、連れ去るのは目立つ。泣き叫ばれたら、親が駆けつけるかもしれない。だとしたら、現場で殺し、遺棄するか。埋める、沼に沈める、谷底に突き落とす、いずれも発覚の恐れがある。しかし、犯人が軽トラックにでも乗っていたら、巧みに誘導してそのまま自宅まで連れてゆくことが可能だろう。とすると、家族の目をどう避ける? 犯人は独身か?
 キノコ狩りをやったことがないから、どんなものかわらないが、モノによってはナイフや鉈を使うことがあるのかもしれないし、収穫物を持ち帰るのに大きくて丈夫なザックを用意しているのかもしれない。こういう装備はとても役に立つはずだ。とすると、犯人は地元民ではない場合もあり得ることになり、犯人像を絞り込めない。あのような過疎化の進んだ集落では部外者は目立つかもしれないが、そもそも人が少なく確かな目撃情報は得られそうにもない。トランクに押し込まれて、そのままどこか遠くへ連れ去られてしまっては、もう解決の糸口すら掴めないだろう……。

 秋雨前線が停滞し冷たい雨が降り続いて、丘陵地帯の樹冠を打ち、ベッドタウンのスレート屋根を激しく叩き、樋が大量の水を吐き出して側溝が溢れ、一時冠水した車道は河のようになった。旧市街と新興住宅地の間を流れる名ばかりの一級河川も増水して、濁った水を満々と湛える様は、悠揚迫らざる大河の趣きすら感じられた。あの小さな、忘れられたような深緑の沼も、誰にも知られることなく滲み溢れ出し、微かな痕跡を消し、遺留品を呑み込み、証拠を攫ってしまったかもしれない。雨ガッパを着込んで自転車通学する身には、憂鬱な季節だった。
 ようやくに雨が止んだその週末、盆でも正月でもなく、とくに理由がなさそうなのに、どういうわけか、およそ半年ぶりぐらいに姉が帰省した。専門学校生の頃に伸ばしてツインテールにしていた髪を肩のところでバッサリとカットしたところが、社会人らしいと言えたかもしれない。ひとり暮らしで少し痩せたみたいだ。
 母とふたりでキッチンに立って何やらかしましく料理の下拵えを始めた。
「ちゃんと自炊してるの? 外食ばかりになってない?」ザクザクと野菜を切りながら、母が母親らしいことを訊くと、姉は姉で娘らしいことを応える。
「あのさあ、薄給なんだから、そんな余裕なんてないって」
「いつでも帰ってきていいのよ」
「ここから通勤は遠すぎるよ」
 母が姉に戻って来て欲しいのは、都会での一人暮らしを心配しているからではないし、姉が戻りたくないのは、通勤時間が理由ではない。居た堪れなくなって、ぼくは二階の自室へ上がった。途中、フローリングの二階ホールからインナーバルコニーで煙草を吸う父の頼りない後ろ姿が見えて、声をかけようと思ったが、止した。禁酒以来、煙草の本数がどんどん増えているようだ。
 机に向かっていると、昔から何度言っても聞いてくれないのだが、姉がノックもせずにいきなり扉を開けたて、声を上げた。
「うわあ、すごい」
 背もたれのスプリングを効かせて、椅子ごと振り返る。
「ノックぐらいしろよな。何度言わせるのさ」
「ごめんごめん、でもこれ、ちょっとやり過ぎじゃない? 刑事か探偵のつもりなのか知らないけど、ちょっと病んでるというか」
 姉が指摘するのは、もちろんぼくがポスターの裏にマジックで描いたこの町のお手製の地図(市販の地図には山道、林道、農道、あの沼さえ載っていなかった)のことだろう。その空白部分には新聞、雑誌から切り抜いた女の子の写真を貼って、簡単な覚書を添えている。健全な普通の男の子ならアイドルの水着姿のポスターでも飾っているとでも言いたいのだろう。
「これって、例の誘拐事件ね。もうだいぶ経つわね」
「誘拐って証拠もないのに決めつけないで。まだ失踪事件だよ」
「私の推理、聞きたい?」
「いや、別に」
「母親が怪しいと思うのよね」
「だから聞きたいなんて一言も言ってないのに……」
「まあ、聞きなさい。あれだけ探して見つからず、これだけ時間が経っても何も出てこない。奇妙だと思わない? 実はね……犯人は母親なのよ!」
「なんで母親が自分の子どもを誘拐するのさ」
「誰も誘拐なんて言ってないじゃない」
 たしかに姉は「誘拐事件」という言葉を最初に口にしたのだが、それを指摘しても誤魔化すか、本当に覚えていない可能性さえあるので、無駄だと思う。
「育児ノイローゼか、児童虐待、これで決定。どう?」
「あのね、これ見てみるとよいよ」と、ぼくは壁に貼ってある一枚の写真を指した。
「なによ、何の変哲もないただのスナップショットじゃない」
「母が育児ノイローゼで、娘を虐待していたなら、こんな写真を撮ったりするだろうか」
「母親が撮ったとは限らないじゃないの。父親かもしれないし、祖父母の可能性だってある」
「たしかに。でも、この愛らしいストライプのワンピースはとてもよく似合っているよね。ポシェットやズックとのコーディネートも考えられているし、本人や父親が選んだものではないと思われる。それに、この子の表情に注目してみて。笑っているね。虐待されている子どもがこんなにリラックスして微笑を浮かべるものなのだろうか。顔にも腕にも、肌には傷ひとつ、アザひとつない。写真に写っていることから、直接判断できることもあれば、間接的に推測できることもある。この写真を撮った人は被写体に愛情を感じているし、被写体は写真家を完全に信頼している」
「やれやれ、とんだ名探偵気取りねえ。単なる憶測に過ぎないじゃない」
 まるで自分の主張は単なる憶測ではないかのような言い草だ。
「こっちの写真では、通学中だろうか、ランドセルを背負って生真面目な表情をしている。この写真からわかることは?」
「んー、とても緊張している、カメラマンに対して敵意を抱いている?」
「呼び止められて振り返った瞬間を捉えたようなこの一枚では、小学校低学年にしては、とても大人びた表情をしていないだろうか。ここからわかるのは、なかなか聡明で、知らない人にほいほい付いていったりするような危ういところのない子どもだっていうことだ」
 滔々と話すうちについ熱がこもってしまって、実際に考えていた以上に大袈裟に分析を述べてしまったかもしれなかった。それはエビデンスに基づく論理的な推測ではなく、先入観に基づく危険な思い込みであるかもしれない。そして気をつけなければならないのは、危険な思い込みは決まって最後には破綻をもたらすということだ。
 姉は興味を失ったらしく、窓辺まで来て、カーテンの隙間から外をうかがっていた。
「お父さん、隣から悲鳴が聞こえたとか言い出したんだって……」
「悲鳴とは言ってなかったよ」
「あのね、さっきお母さんと話したんだけど、お父さんね、薬を飲んでなかったのよ。飲まずに溜め込んでいたんだって。で、なんでそんなことをしたのか聞いたら、薬を飲むと頭がぼーっと霞んで、自分が自分じゃないみたいな気がするって言うじゃない。それなのよ、それで幻聴なんて聞いたりしたのよ。薬を飲まないせいなのよ」
「うん」
 理由もなく帰省したのではなく、母が呼び寄せたのだなと思った。
「ご飯だよ、忘れてた」
「うん」応えてぼくは席を立った。
「あれ、こんな時間に外出なのかな」窓から外を見下ろしていた姉が呟いた。
 ちょうどぼくの部屋の窓から佐藤家の玄関が見える。カーポートの照明が自動で灯り、仲良く並んだ小柄な佐藤夫婦の姿を、ふたりして見下ろす格好となった。久しぶりに見る夫の方は、天頂部がきれいに禿げ上がって、ウェーブした白髪が僅かばかり両耳の上と後頭部に残っているばかりだが、おそらくは染めているだろう黒髪・短髪の妻と印象がそっくりだった。小柄でずんぐりして、穏やかにちんまりと寄り添う姿が一対の置き物のように見える。揃ってくすんだ鼠色のコートを着込んで背を丸め、丸眼鏡をかけていることも、似た者夫婦という印象を強めた。二人はなにごとか話しながらシルバーのワゴン車に乗り込むと、隣家の二階の窓から見下ろす四つの眼に気づくことなく、町の方角へ車を発進させた。
 なんだか老夫婦には大きすぎる車だな、とぼくは思った、今まで思ってもみなかったことがひっかかる。

(続く)

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