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重力について(2)

 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、重いものが軽いものより先に落下すると考えていた(らしい)。大きな岩と小石を同時に高所から落としたら、前者が先に地面に落ちるというのは、なるほど直感に反しない。実験で確かめる必要もないほど、たしかに感じられる。

 それを実際に試したのがガリレオ・ガリレイで、ピサの斜塔から重さの異なる錘を落として比べたという。塔の最上階の窓から身を乗り出すガリレイのイメージがなんとなく浮かぶ、というか、そんな絵画かイラストを観たことがあるような気がするが、下で観察しなければ実験の意味がなくなる。上か下か、どちら側にいたのか。まあ、言い伝えの類いで、後から作られた話らしいから、こだわるような事ではないか。

 五階のベランダから下界を見下ろしながら、むろんガリレイのことを思ったりはしなかった。それでも、ここからモノを、たとえば妹の可愛がっているヌイグルミを落としたら、どうなるだろうかと考えないでもない。熟した林檎の実が枝から落ちるのを見たニュートンのように、万有引力を発見できただろうか。しかし、これも作り話らしく、熟れたリンゴは、すべからく全てもぎ取られたことであろう。

 一階に住む子が遊びに来て、何を思ったか小さな体でベランダの柵を乗り越え、虚空に身を晒しこちらを見てニヤリと笑った、度胸試しだ、お前もやってみろとでもいう風に。手摺りを掴む指を離して重力に身を任せれば、あるいはこちらが指を剥がせば、そのまま真っ逆さまである。下は団地の庭のような空間で、ただ雑草が生い茂って風に靡いている。

 パッと手を離し、また掴む、その動作をなんということもなく、繰り返す。強烈な目眩を感じてもうそれ以上は見ておれず、慌てて室内に駆け込む。そして、背中に密着した安全な重力を感じることができるように、しばらくは床に臥せっていた。すると何事もなかったように笑いながら、その子は戻ってきて、こちらの顔を不思議そうに覗き込むのだった。あれほど自らの安全に無配慮で敢えてスリルを求めるような性質でありながら、生き永らえているならば、今頃、どこで何をしていることやら。それともこんな記憶も、ガリレイやニュートンのつくり話のような、しかしあくまでも個人的な、神話のようなものなのだろうか。

 モノが落ちるのは何故か。アリストテレスは、万物を構成する四元素、すなわち土・水・火・空気のうち、土の成分が多いものが、大地(つまり、土)へ返ろうとする運動引力だと考えた(らしい)。故に、大きな石は小さな石よりより強く大地へ引かれることになる。だとしたら、土から生まれやがて土へと朽ちてゆく人間の肉体が、真っ逆さまに落ちてゆくのも道理である。では、ヌイグルミならどうなるのかという疑問が浮かぶけれど、そんなものは古代にはなかったと答えておけば、それまでの話である(まだ発掘されていないだけかもしれないけれど)。

 ところで、玄関脇のダストシュートについても、語っておかなければならない。緑色の鉄製の扉というか蓋を手前に引くと、そこがゴミ入れになっており、その蓋を閉じるとそのまま一階までゴミが落ちるきわめて単純な構造をしている。ここでなら、落としたヌイグルミが、たとえばたまたまベランダから頭を出した人や下を通りかかった人にぶつかることはないと考えて、実験することにしてみた(末は物理学者であろうか)。上で落としてから、急いで、まるで重力と競争するみたいに階段を駆け降りて、肩で息をしながら、地上の扉を開ける。おかしい、影も形もない。子どもの体なら横になれば中に入って、見上げることができる。しかし、日の差さない縦穴は真っ暗で何も見えない。しばらくしてこのダストシュートは使用禁止になり、ガムテープで扉が封鎖されてしまったが、ひょっとしたらそれは中に詰まったヌイグルミのせいかもしれなかった。

(続く)

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